2008年10月02日

薔薇

●映画『コッポラの胡蝶の夢

事故により主人公は超人的能力を手に入れ、長年のテーマであった言語の起源に肉薄する。三本目の薔薇の場所を探しながら、胡蝶の夢をみているのか、それとも誰かの夢でしかなかったのか。歴史が幾重もの可能性の堆積ならば、言語学者の見た夢は、夢の登場人物の現実であり、また誰かの起こりうる未来の出来事でもある。そこで咲く眼前の薔薇そのものに実体はなく、抽象的な薔薇という存在こそが意味を帯び、意味が言語を召喚する。


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私はよく、戦争は絵かきにとって決して悪い時代ではなかった、その証拠に、戦争中には靉光や松本竣介のようないい画家が生まれたし、その他、みんな却っていい仕事をしたのにいまはどうだ、民主主義は芸術の敵なんだ、などと言って人を怒らせ、大方の顰蹙を買ったものだが、すべての画家にとって、ただ今を念じ、「いまの自分」「いまの生き方」を見据えて生きる日常があったということは、そうさせたのが戦争で、戦争は悪であっても、そのこと自体は非常にいいことだったのではあるまいか。(洲之内徹帰りたい風景―気まぐれ美術館

パウル・クレーも第一次大戦で召集されドイツ軍にいた。「芸術においては、見ることは見えるようにすることほどには本質的な意味がない」という戦場で培われたクレーの芸術論を思い出しつつ、戦争で日本の画家は何を得たのか、そんなことを考えながら、洲之内は千葉の松田正平宅に遊びに行く。

帰りがけに、正平さんは庭へ降り、花鋏を持ってきて、一緒に行った肥後さんに花を切ってくれた。肥後さんがハラハラするほどたくさん切ってくれたが、花を切ってくれながら、正平さんは私に、自分は戦争中に薔薇の花の美しさが本当にわかったのだ、と言った。戦争も終りに近い頃、正平さんは郷里の宇部の炭坑で採炭夫になっていたが、毎日炭坑へ通う道端の家の垣根に薔薇が咲いていて、その美しさが身に沁みたのだという。戦争が、正平さんに薔薇の美しさを教えたのであった。
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2008年09月28日

選択について

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それにしてもアルトマンが凄いのは、彼が一度たりとも高踏的なシニシズムに訴えなかったことである。俗の俗なる人間たちを見つめて、彼らを安全地帯から嘲笑するわけでも、またイデオロギー的に利用するわけでもなく、その卑小な悲惨を丁寧に描き続けたことだ。その眼差しの成熟は、今日の日本の映画監督にもっとも欠落しているものだろう。謹んでこのマエストロを追悼したいと思う。
(「ロバート・アルトマンを悼む」,『驢馬とスープ―papers2005-2007』四方田犬彦著)

『ダークナイト』
“光の騎士”デント検事は恋人を失った後、『ノー・カントリー』の殺し屋と同じくコインの表裏で人の命を奪う。
検事と自警市民、正義のヒーローと昔の恋人、囚人と一般市民、生と死、ジョーカーが仕掛ける選択ゲームに、バットマンは答えることができない。損得を超えた存在が、倫理をも無視した時、全ては二者択一で、選択においては運だけが唯一公平だ。本当にフラットな世界は、コイン一枚あれば実現する。
誰が救われるわけでもないこの物語を、バットマンという枠組みを利用して無理を重ねながらも娯楽作品に仕上げた事実は、ヒースレジャーの、文字通り命を懸けたジョーカーの造形とともに映画史に残されるだろう。R.I.P.

鎖は一番弱い輪から切れる。その輪がどこなのか事前に知ることは困難である。

私が生きのびたのは、おそらく偶然によってであったろう。生きるべくして生きのびたのと、私は思わない。だが、偶然であればこそ、一個の死体が確認されなければならず、一人の死者の名が記憶されなければならないのである。石原吉郎「確認されない死のなかで」,『石原吉郎全集〈2〉
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2008年09月08日

デザインについて

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『対決 巨匠たちの日本美術』@東博
『小袖 江戸のオートクチュール』@サントリー美術館
『デザイン物産展ニッポン』@松屋銀座
『村野藤吾 ・建築とインテリア ひとをつくる空間の美学』@汐留ミュージアム

日本デザインの源流を江戸期の光悦や琳派の仕事に見出すと言えば聞こえがいいが、見方を変えればその後の日本デザインが琳派のエピゴーネンでしかないのかもしれない。
だとすれば日本デザインの近世からの連続性を手放しで評価するだけでは、琳派が持った創造性を現代に見出したことにはならない。
琳派の仕事はまずデザインではなく、光悦の鷹ヶ峯にはじまり、宗達や光琳といった名だたる天才たちによって継承された新しい芸術運動だったはずで、ルネッサンス(花田清輝)的精神の発露として江戸初期のデザインがあったはずなのだ。
もとより芸術家という観念が日本になく、それまでにいたのは絵師や仏師や陶工といった職人でしかない。職人の世界では過去に学ぶことと過去をコピーすることに区別はなく、模倣そのものが創造的な営みである。抵抗でもあり隠遁でもあり追放でもある、ライトのタリアセンのような洛中をはなれた村で、光悦は自分の名を記した「作品」として器をつくった。陶工が芸術家として自覚しはじめたという意味で、近代は既に光悦村で始まっていた。オリジナルと模倣という対立を超えて獲得した光悦のモダンな創造性は、その経緯からして本来的に現代の民芸的な懐古趣味と大きく違うものであるはずだ。

橋本治が「日本美術というものが、俵屋宗達を最高の画家とするような形で存在している」と言い切るその宗達の「蔦の細道図屏風」を休館日にゆっくり見られる。
國華清和会に入ったのはこの日のためだったと言っていい。眼福。




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2008年08月24日

勇敢さについて

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『帰らない日々』
『告発のとき』

闘うことよりも、闘いを降りることのほうが勇敢である。そんな場面は多い。闘う勇敢さも誰もが語る。闘い方はどこでも学べる。だが、そんな闘いから降りろと言ってやれるのは家族以外にあるだろうか。
映画の三組の父子いずれも、父が子を助けてやることができない、父子の断絶は勇敢さの断絶である。

悪者に虐げられた善良な人が助けを求めていて、あとは舞台袖から出てくる正義の味方を待つばかり、そこであなたは最強の武器を渡されている。誰もが勇敢なヒーローになれる。アメリカにはかつて確かにそういう時代があったはずだ。

父は子に勇敢であれと語りかけるが、今や子は救うべき善人も見失い、闘うべき悪者も霧の中にいる。あとは父親の期待に応えるためだけに勇敢であろうとするならば、話の結末は、残酷なもの以外にないだろう。

アメリカの父親が示すべきであったろう勇敢さや正義は、アメリカが国の成り立ちとともに体現したものであって、それらが共振して崩れてきたのが、9.11以降、本当はベトナム以降の世界であった。

『告発のとき』の原題は"In the Valley of Elah"、幼いダビデが巨人ゴリアテを倒した「勇敢さ」を、T.L.ジョーンズが語っても、子供は理解できない。なぜ闘う必要があるの?
映画の観客も、旧約聖書のこの一エピソードを理解できない。

わからなくとも、とにかく勇敢であれというメッセージが全てを了解させるかつての世界では、闘う理由が問われることはない。
闘わず解決する可能性、闘いが弱いものいじめでしかない可能性、闘いで失うもののほうが大きい可能性、勇敢な妥協・勇敢な撤退の可能性。これら闘わないためのあらゆる可能性を閉ざし、闘うことに疑問を挟むことの決してない世界での勇敢さが、ある世代までの勇敢さであったと今アメリカが真摯に振り返ろうとしているのであれば、未来は決して絶望的ではない。断絶を乗り越えるためにこそ、この映画が断絶を描いているのだと考えたい。
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2008年08月11日

責任について

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『敵こそわが友』@銀座

アイヒマンはナチスドイツの敗戦後、アルゼンチンで拘束されるまで逃亡生活を続けたが、対照的に親衛隊中尉としてリヨンでレジスタンス活動家を多数拷問・虐殺したクラウス・バルビーは、アメリカ陸軍情報部(CIC)の支援を得て逃亡した後、アメリカとボリビアで公然と左翼勢力、共産主義勢力の鎮圧に腕を振るう。バチカンのラットラインもバルビーの逃亡に貢献する。(参考:『ローマ教皇とナチス』

戦後のアメリカ最大の目的である「反共」の名の下においてはナチスドイツとの連帯が十分に可能であった。バルビーのソビエトに対する情報をアメリカが求め、南米の軍事政権も彼の尋問・拷問のノウハウをゲバラの殺害等、治安維持のために必要とし、彼をアドバイザーとして庇護した。
アメリカにとっては極秘の支援であっても、当時の南米諸国は公然と親ナチをうたった政権が多く、ボリビアでガルシア・メサ将軍による軍事政権樹立の際、高らかに鉤十字が掲げられる。
ナチスドイツの歴史的清算にあたって、西欧においては強い拒絶、アメリカではプラグマティックなナチスのノウハウ利用、南米では半ば公然となっていた親ナチ。その地域間の温度差を、バルビーは為替を利用する貿易商のようにしたたかに生き延びた。

他にもナチス親衛隊の残党が「第四帝国」創立のために90年代まで活動していたことも語られている。
バルビー本人の犯罪以前に、イスラエルを支援しながらも、ナチスドイツの残党を支援して対ソの諜報活動を進め、同時に日本の戦犯も利用してソ連包囲網を作ろうとしたアメリカの戦後政治のプラグマティズムを冷静に読み解く必要がある。

監督の前作『ラストキング・オブ・スコットランド』と本作を結ぶ線は、終盤、フランスでのバルビー裁判の弁護人として、世論の猛反発を受ける中、バルビーの無罪と欧米各国の戦争犯罪を糾弾するベトナム系フランス人弁護士のジャック・ヴェルジェスである。
彼はアミン、ポルポト派、ミロシェヴィッチなど「人道に対する罪」に問われる犯罪者の弁護を歴任したことで有名である。
ユダヤ人をドイツに引き渡したヴィシー政権の罪は、バルビーの罪よりも重いと激しく糾弾する姿が、この映画の持つ難題を象徴している。
組織的な犯罪行為における因果の連鎖は、検証すればするほど個人の罪の希薄化に貢献する。この責任のパラドックスを、バルビー裁判はアイヒマン裁判よりさらに複雑な形で象徴することになる。
判決は最高の終身刑であり、ニュルンベルク裁判よりも重い罪は不当だとヴェルジェスはマスコミに熱弁を振るう。収監中にバルビーは病死する。

この映画は、彼の罪や責任について追求していくよりも、戦犯とされるバルビーが各国の緊張関係を利用して生き延び、またその関係の変化によってフランスで被告となった経緯を明らかにすることで、冷戦下における国際政治のリアリズムを描くことに力点を置いている。
ヴェルジェス弁護士は終始バルビーをスケープゴートであるとして、被害者のなすべきことは決してスケープゴートへの復讐ではないと主張する。

組織の罪は組織にあり、システムの一要素である個人には還元できない。現代の悪は常に凡庸で、ゆえにあらゆる組織犯罪において個人が罪に問われることはスケープゴートに他ならないが、それでもなお人類の歴史は法律を超えてスケープゴートを必要とする。

「責任が誰にあるのか」を問うことはほとんど不可能である。
しかし現実に過去を乗り越えようとするならば、「責任を誰がとるべきか」は問われなければならない。

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2008年07月25日

アウシュヴィッツ以降写真を撮ることは

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ソンタグはたしか『写真論』で、「記録するものは介入できない。介入するものは記録できない」と書いた。

報道写真が傍観者による事件の記録である(つまり撮ってる暇があれば助けろ)というジレンマはあまりに古典的で、もはや検討されるものですらなくなっていたが、携帯カメラが人の数だけ報道カメラマンを生む現在において、そのジレンマは新しい問いを生んでいるはずだ。

今橋映子の『フォト・リテラシー―報道写真と読む倫理』は、その携帯カメラ状況について問いを立てることはしないが、ヤラセやオリエンタリズムといった写真の成立期から語られてきた問題から、アウシュヴィッツ以降そもそも写真は成立するのかといったアドルノ的問題までを含めて、報道写真をめぐる批評の歴史として私たちに多様な写真の読み方を提示する。

著者はあくまで「私たちの」写真の読み方を問題にしており、撮る側つまり冒頭のソンタグの言葉にあるような「写真家」の倫理を問うものではない。

写真はいかなる演出を持ってしても、ただそこにある景色でしかない。美しい風景、悲惨な光景、悲劇の人々。写真が示すそれらの物語は、私たちが「そうであってほしいと願い、そう解釈する」ことで成立する。すなわち写真家と読み手の共犯の成果と呼ぶべきものである。
「貧しくとも黒く輝く瞳をもって遊ぶ先住民の子供たち」を、実は見たいと無意識に欲求するのは、読者である私たちかもしれないのである。

そのことに中平卓馬は常に苛立ち、厳しい批判を加えた。彼が植物図鑑写真家になろうとしたのは、意味や物語から写真を解き放つ運動であった。
例えば、アメリカ西部の広大な平原と眩い太陽の光とそこに生きる人々の荒々しくまた明るい顔が写されており、その土地の独特な自然と事物のあり様が印されてはいる。だが私はすぐに、あれこれの土地、あれこれの場所に出向いてゆくならば、ただその気になりさえするならば、そのように人々は生き、事物は存在しているのだろうと、一気にすべてを<了解>してしまうのだ。(中略)
 一言で言ってしまえば、これらの写真には一様に、旅行者だけがもつ甘えた感傷とそれと裏腹にあるつきなみな希釈された好奇心がべったりと貼りついているということなのである。『決闘写真論』

ロバート・フランクの撮るアメリカ郊外のだらしない風景、解釈を拒む人の表情、本書は触れていないがホンマタカシももちろん「決定的瞬間」「美しい写真」という問いに対する問題意識の高い写真家として記憶されるだろう。

私たちが報道写真に「美しさ」を求めるがゆえに何を失っているのか。クリスチャン・サルガドを批判するソンタグの洞察は重い。
ソンタグは、サルガドの写真によって、個人の、個別で無二であるはずの悲惨が抽象化され、世界中の悲惨が一まとめにされるとする。
そうして喚起された抽象的な同情は、具体的で個別の行動であるはずの政治と真剣に向き合うことを避けるのだと、『他者の苦痛へのまなざし』で議論は展開される。

なによりも「美しい」ことは、見るものが予め設定した美のフレームワークから逃れていないという意味で中平のいう安易な<了解>を生み、世界の悲惨が見る側の価値観と地続きであるという安心を与えことはあっても、まとわり付いて離れない違和感や価値観を破壊するような衝撃を生むことはない。

池澤夏樹の、それでもサルガドの写真は美しいからこそ記憶に残る「美しい棘」として評価することも可能だとする解説は、ソンタグの問題設定を踏み外している。
まず、思考の契機たる報道写真がなぜ美しくなければいけないのか問われなければならない。それにとどまらず、それを美しいと思う私たちの価値観は、報道写真が表象する悲惨を、すなわち写真の向こうにある美しいはずもない現実を、私たちが了解済みの美的構図に押し込めていることに意識的でなければならない。ソンタグが言おうとしたことはこういうことではなかったか。

断片的でしかない写真が、アウシュヴィッツとユダヤ人の消滅という理解を絶する悲劇を表象できるのか、というランズマンディディ=ユベルマンの論争は、著者が言うようにランズマン側に論理性を欠いたものかもしれないが、書き言葉に対する批評と同様の批評言語が写真において成立したという一つの成熟を示す出来事と言える。
言葉が伝達と共有の道具である以上、個別の悲劇を言葉で表象することにより、読み手が自分の言葉の体系に合わせて抽象化する作用から逃れることはできない。写真も固有名を撮っているようでありながら、見るものの認識の枠組みのなかで抽象化されることは避け難い。

アウシュヴィッツ以降詩を書くことが野蛮だとすれば、写真を撮ることも野蛮である。
しかしなおその野蛮さを引き受けるものを写真家と呼び、写真を見る側の倫理は、写真の野蛮さを知りつつも、写真の向こう側から聞こえる叫び声に耳を澄ますことに他ならない。
拷問された人間が叫び声を上げてしまうように、永続する傷は表現されてしかるべきものかもしれない。それゆえ、アウシュビッツ以降もはや詩を書くことはできない、と言ったのは間違いだったかもしれない。(アドルノ『否定弁証法』

著者は写真の読み解き方を「リテラシー」として示すわけではない。写真をめぐる諸問題を一つの倫理的な問いかけとして、答えを留保しながら写真の可能性を探る。
それは、リテラシーという用語がいくつかの、特にビジネスの領域で「基礎的な知識やスキル」の多寡を示しているのとは対照的である。
――せねばならない」と指し示す「道徳」と異なり、「倫理」とは、あり得べき複数の可能性の中で思考を継続させる誠実さそのものだからである。


    




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2008年06月28日

商業建築家丹下健三

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つまり、丹下さんは日本の国情に合わせて商業建築家として帰還した

磯崎新の、師匠丹下に対するこの発言を、藤森照信は自著『丹下健三』に引用しようとしたところ、出版前、丹下によって削除を命じられた。

戦後、国家そのものを体現しつづけた大建築家丹下健三が、大坂万博以降は国家のほうから距離を置かれ、失意のまま中東で仕事をした後、バブル前夜の日本に帰還した。帰還後の丹下の仕事ぶりは、磯崎の目には「余生」にしか映らなかった。そんな寂しさが生んだ発言であった。

磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペで著者の平松剛は、新都庁コンペにおける師弟の対決というより、むしろすれ違いを活写している。何より丹下健三の都庁にかける執念が、磯崎の視点から描かれる、バブル前夜の日本建築史における、貴重な証言集である。

コンペの説明会、丹下は車椅子で登場した自らの師である前川國男とも、弟子である磯崎新とも言葉を交わさない。
「ぶっちぎりで勝とう!」と連呼する勝負師の執念は、周囲も驚くほどであった。

本書によれば、もとより新都庁舎は鈴木俊一都知事と丹下健三のためのコンペであった。
鈴木の都知事選の後援会会長は丹下であった。鈴木は選挙公約に財政再建を掲げたが、当選の半年後から都庁移転の働きかけをはじめる。そこで鈴木が議会と都民の説得のために活用した私的諮問機関のメンバーにも丹下は名前を連ねている。
新宿副都心建設公社の初代理事長であった鈴木は新宿への都庁移転へ執着を隠さない。各種公共施設を都内にバラ撒いて、反対派を黙らせる。

コンペは公募ではなく指名制をとった。公募では時間的に無理だったと都は説明するが、鈴木が三選した場合の任期(90年)に間に合わせるために、そこから逆算してコンペの期間が決められたのが実情だ。
コンペ期間は短かったが、丹下事務所は一足先に準備をはじめていたことが証言で明らかになっている。
要するに、新都庁舎は鈴木俊一都知事のモニュメントなのである

コンペの指名基準は、100m以上の高層建築の実績が重視された(磯崎アトリエ以外の8社は実績があった)が、審査員10名のうち9名は実績がない。実績がないメンバーで審査をしなければならなかった。海外審査員も招待されなかった。

また、審査員のうち7名は、丹下が発案した「東京都設計候補者選定委員会」のメンバーであった。丹下が設立した委員のメンバーが、丹下を応募者とするコンペを審査するという形態をとった。

さらに、「審査員に対するプレッシャーが強過ぎて」という理由で、審査過程は非公開とすることが決められた。コンペ参加料は2000万円。

多くの問題含みのままコンペは実施され、下馬評どおり丹下が勝つ。

磯崎の低層案は予想通り敗れたものの、奇妙なことに驚くほど似たモチーフが、丹下の後の仕事に現れる。

磯崎は当時、表面的には縦割りでツリー状に見える組織図の奥に、「錯綜体(リゾーム)」として横に活発に動く仕事のイメージを、都庁の業務調査により獲得していた。
都側が超高層を求めるコンペで、唯一となった磯崎の低層案は、「基本的にものの考え方がアナーキー」(青木淳談)な磯崎の気質のみによるものではなく、業務の実態にハコを合わせる、モニュメントではなくワークプレイスとしての機能的な都庁を構想した結果であった。
戦後民主主義と自ら設計する空間(例えばピロティ)を無理にでも結び付けようとした丹下と、磯崎は既に違う世界の住人であり、対決どころかすれ違うしかない。

バブルの後に何が訪れるか、当時の誰も知らなかった。都庁は当時の日本を覆っていた気分の見事なモニュメントであり、磯崎からみて無残な商業建築家であったとしても、それも含めて丹下は最後まで国家と時代を一身に背負い続けたのだと思う。

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2008年06月25日

回帰分析は誰のもの

インターネットやテレビゲームが少年の脳を汚染して犯罪を誘発しているという、まことしやかな「直感」が語られやすい状況や、そう言いたくなる気持ちは理解できる。
しかしテレビゲームやネットの爆発的普及とともに少年犯罪が急増しているという統計は、どこにもない。
私たちは地味なものよりも衝撃的なもの、昔のものよりは最近のものによる印象の強さで、判断を誤りやすい。統計は頭を冷やすための最低限のツールである。
その数学が戦略を決めるは、コンピュータのハードディスク容量の増加、演算速度の向上により、ビジネス、行政、犯罪捜査、教育など多くの分野で、多くの経験と直感が統計にとって替わられている現場のレポートであり、その先にある人間と統計(コンピュータ)との関係を示す意味でも興味深い。
その中の「おもしろい計算」をいくつかメモ。

●ワインの質=12.145+0.00117×冬の降雨+0.0614×育成期平均気温−0.00386×収穫期降雨
●貢献出走塁=(ヒット数+四球)×総塁数/(四球以外の打席数+四球数)MLBのスカウトの直感よりもよい打者を獲得できる。
●クレジットカード返済実績の低い人々は事故を起こしやすいので、レンタカーや保険会社はサービス提供を拒否する。
●航空会社は、フライトキャンセルの際、常連よりも他社に乗り換えそうな客に優先的に別便の席を提供する。
●2004年、ハリケーンがフロリダを襲う直前に、ウォルマートはハリケーン進路にある店に、イチゴポップタルトを大量にストックした。「調理や冷凍が不要で、食器なしで食べられる甘い食べ物」だから、ハリケーン後に売れることをウォルマートはデータマイニングで知っていた。
●ハラーズ社のカジノでは、各属性の顧客がいくらまで負けてもまたカジノに来るかを予測している。損失がその限界額に達すると、店が食事をプレゼントしたりする。すると一気に顧客満足が向上する。
●大手クレジットカード発行会社のキャピタル・ワンは、顧客から電話がかかってくると、顧客の過去の質問履歴から計算しておそらく顧客が質問するであろう内容を、聞かれる前にコンピュータが答えることで、コールセンターの負荷を大きく減らしている。顧客がカードを解約しようとした際、その顧客が「いい客」であれば、慰留専門の担当者に電話が自動的に回る。金利が高いと言って解約を主張する顧客には統計的に慰留に最適な低い金利を提示する。
●南アのマイクロクレジット会社、クレジットインデムニティ社では、DMの右上に微笑む女性の写真を入れると、金利を4.5%引き下げたという告知と同じだけ男性の応答率が向上した。また、1週間前に電話して「大きな資金需要はないか?」と聞いておくと、DMの効果は大きくなる。
●Joann.comでは、「ミシンを2台買うと1割引!」というプロモーションが大成功した。ミシンを2台買う人はいないが、多くの人が知り合いを巻き込んで購入した。顧客が営業を代行してくれたのである。
●本書のタイトルも、「The End of Intuition」か「Super Crunchers」かで迷ったが、グーグルアドワーズの実験結果により後者に決めた。
●慈善団体が寄付を募るDMを出す際、マッチング寄付(個人の寄付が集まると、企業がそれと同額もしくはそれ以上の寄付をするシステム)について、なし、同額、2倍、3倍と手紙ごとに変えた。結果、マッチング寄付は無いよりあったほうが寄付は集まるが、2倍、3倍にしても寄付は増えない。
●銃を持っていて、裏庭にプールがある家では、子供はプールで死ぬ確率のほうが100倍近く高い
●性犯罪者再犯率急速リスク評価(PRASOR)では、性犯罪者を性犯罪歴、釈放時年齢、被害者の性別、被害者との親族関係で点数をつけ、例えば4点以上であればその囚人が釈放されたら10年以内に性犯罪の再犯率が55%。出獄後の病院への強制収監に利用されている。
●ケニヤとウガンダの調査では、包皮切除された男性のAIDS感染リスクは包茎男性の半分以下であった。医者の仮説が的中した。
●シカゴ周辺の新車ディーラーでは、顧客は人種と性別によってディーラーは粗利を変えていた。白人男性に比べて、白人女性は4割高く、黒人男性は2倍以上、黒人女性は3倍以上、払わされた。自動車ローンにおいても、黒人の場合ディーラーが金利を上乗せして契約することが多かった。
●2SDルール「正規分布する変数が、平均値から正負を問わず2標準偏差内にある確率は95%」


ここから言えるのは、データマイニングをしている企業からいいサービスを提供される場合、その会社に利益をもたらしているということだ。つまり「おいしい客」ということで、消費者として必ずしも喜ぶべきことではない。

回帰分析の良さは、その予測だけではなく予測がどれくらい信用できるかという精度を教えてくれることだ。予想屋との違いはここにある。
しかし、サンプル数の足りない珍しい事象についての因果関係を予測することは苦手としている。

回帰分析に頼った結果生じた「間違った判断」が一度でも生じると、その印象に引きずられて、人は統計を軽視しがちになる。回帰分析によって職を奪われる人の反発も加速し、「統計アルゴリズムを無視できる裁量システムが、かえって精度が低いのだという証拠が忘れ去られてしまう」。私たちの「科学的態度」を問う一冊である。

「絶対計算」時代に、残された人間の出番は、統計回帰分析を行うための仮説立案にある。統計ソフトがあればだれでも優れたマーケター・予測屋になれるわけではない。解析すべき変数を見つけ出す仮説は、経験に基づく直感によってしか生まれない。これは決して人間にとって不幸な状況ではない。

このような経験は人類史で何度も見られてきた。
天気予報は古来から私たちの暮らしに欠かせない。気圧と天気のデータが蓄積されることで前近代の呪術的な天気預言者の多くは失業し、天気図が読めて統計ができる人が、天気予報の主役になった。
同じ変化がマーケティング、医療、司法、教育、農業などで生じているだけで、科学のフロンティアが前進し「人の行動」がもはや洞察力や推理力ではなく「計算」の領域に取り込まれてきた事実を示しているに過ぎない。天気予報を預言から統計に変え、人類の誕生を創造から進化に書き換えた科学史を振り返れば何ら驚くことではなく、私たちの統計的なアプローチを受け入れる度量と、回帰分析を社会的に正しく使う叡智が問われているだけなのだろう。

羽生善治のこういう発言も納得できる。
飛躍的なアイデアとか、強烈な個性とか、そういうものが成立しにくい時代なのかなと。例えば阪田三吉さんはものすごい才能だとは思いますけども、いまの時代に生きていたら太刀打ちできないでしょう。すぐ対策が立てられてしまうし、自分自身も研究しないといけない。データを真面目にコツコツと研究していけるタイプの人しか生き残っていけない。(二宮清純との対談『歩を「と金」に変える人材活用術―盤上の組織論』より)
人類史が繰り返してきたように、武器が変われば戦い方が変わる。
現在、人間とコンピュータの関係は新しい局面を迎えている。これは人間の直感の終焉でもなく、コンピュータの勝利を意味するものでもない。ただ、既に手に入れた手段を無かったことにすることはできない。「コンピュータにわかるはずがない」という反動的な懐古主義とは冷静に距離を置いて、新しい回帰分析のツールをどう使い、その限界と弱点をどう忘れずにいるのかが私たちの課題である。



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2008年06月19日

「強引な連想ゲーム」

今日の日経新聞の一面コラム「春秋」は、秋葉原の事件を派遣労働者の問題と結びつけようとする見方を、「強引な連想ゲーム」として非難している。
▼世界に知られる「アキバ」の原点は、ガード下にひしめく1坪ほどのラジオ部品屋の群れだ。新しい商売の拠点を勝ち取ったヤマチョーこと、故山本長蔵氏の功績を知る者は、今は少ない。最近では「フリーターが集う街」などと見られがちだが、原風景には想像を超える貧困や不安感と戦い克服した人々がいる。

▼狂気の事件を起こした男は派遣労働者だった。その境遇が「本人の精神的な不安定を呼んだ」とほのめかす閣僚もいる。秋葉原の惨事以来、派遣制度そのものを規制する動きが加速してきた。アキバ、オタク、ネット、ハケン……。強引な連想ゲームではないか。間違った部品を繋(つな)げた回路に心の電流は通わない。

犯罪は厳格に裁かれなければならないが、ここに典型的にみられる、「昔はみんな貧しかった。貧しい境遇を必死の努力で乗り越えて、日本は経済大国になったのだ。それに比べて今の若者は努力もせずに、、」という自己責任論が、今も多くの人に共有されている。だがこれこそが戦後の復興期と現在を「強引」に結びつける「連想ゲーム」に他ならない。
大手メディアでも平然と語られる戦後日本の復興・成長体験を基にした自己責任論が、今の日本の貧困を見えにくくしており、貧困への対策を遅らせている。何よりこうした論調が、「お前が悪いのだ」「努力が足りないのだ」と、貧困の中にいる人々の活力を削いでいることに、社会が気付かなければならない。

実はOECD加盟国のうち、日本の貧困率は第2位。貯蓄なし世帯が25%に迫る勢いで増加している。
OECDは、非正規雇用の拡大が格差拡大と貧困率増大の一因であると報告している。日本は既に貧困大国である。

日本で大学卒業までの子供1人の養育費は平均2370万円。日本のGDPに占める、政府や自治体が支出する学校教育費は、OECD30か国中29位で、生徒側が支払う学費は世界一高い。
それゆえ貧困は子供の教育の格差を生む。教育の不足は職業選択の幅を狭め、貧困が再生産され、格差は世代を超えて固定化する。政府のネットカフェ難民調査で、8割のネットカフェ難民の最終学歴が高卒以下であることが明らかとなった。

2006年6月、総務大臣であった竹中平蔵氏は「大問題としての貧困はこの国にはない」と言い切った。2007年末、彼は貧困の調査と対策をはじめて口にする。こうしたほんの数年前までの「貧困」への無理解は、竹中氏特有の問題ではなく、多くの日本人の共通した感覚を代弁したものに過ぎない。貧困の静かな拡大に、多くの日本人は気づかず、一部は気づきながらも気づかないふりをしてきた。政府は貧困に関する調査を本格的には行っていない。これは、「経済大国」「一億層中流」「平等の国」といったドグマに、多くの日本人が縛られていたことを意味している。戦後、比較対象としてきた国が常に格差大国たるアメリカであったこと、それに最近は中国が加わっただけであることも、「日本は格差が少ない」と思わせるに十分な効果を生んでいるだろう。

そして、安易な自己責任論が、努力しても貧困から抜け出せない人を、さらに「努力が足りない」と突き放し、彼らから生きる活力を奪っている。大手メディアをつくる人、大手メディアの中で語る人、彼ら彼女らの多くは成功者である。成功者は自分の成功を「運がよかった」とは決して言わない。全ては自分の才覚、自分の努力の賜物だ。彼らに「貧乏な人」は見えても、「社会問題としての貧困」は見えない。大企業のスポンサーへの手前もある。メディアには自己責任論があふれ、貧困に苦しむ人は発言する機会を奪われたままである。

正社員と無職との間にある、「非正規雇用」。定住とホームレスの間にある「ネットカフェ難民」。
政治や法律は、常に線引きをする存在であるから、こういった「中間層」は認知されづらい。無職の人への公的助成も、ホームレスへの公的支援も、かれら中間層は受け取ることができない。メディアも、中間から抜け出すのは自己責任であり、ぶらぶらしているだけだ、と。気づかないうちに、日本にこういった中間層が動かしがたい大きな層をつくり、皮肉なことにメディアに認知されるまでの勢力となった。

『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』で、著者の湯浅誠は「貧困」と「貧乏」を区別する。経済力の不足を表す「貧乏」ではなく、教育、企業、家族、公的福祉から排除され、頼るものがない状態としての「貧困」こそが、大きな問題であるとする。
最後の頼みの綱として存在していると多くの人が思っている生活保護も、北九州市で有名になった「水際作戦」と呼ばれる福祉事務所が生活保護希望者を極力追い払おうとする対応で、生活保護の申請と受給は困難を極める。

貧困と格差が拡大すれば、非正規社員と正社員の対立、企業と労働者の対立、政府・自治体と市民との対立は激化し、その摩擦が社会全体を弱体化させる。
過労死する正社員と契約解除の不安におびえる派遣社員は、お互いを「気楽なものだ」と罵りあいはじめる。給食費を滞納した親と報告書に追われストレスが増える一方の教師は対立を深める。モチベーションの低い福祉事務所職員と生活保護申請者の互いの不信感は募るばかりであり、生活保護受給者とワーキングプアはお互いが贅沢だと非難することで、生活保護水準の切り下げという政府に都合の良い結論を導く。
貧困は犯罪を生み、犯罪者の厳罰化は著しい。不信感は全国を覆いつつある。

著者のいう社会の弱体化が、どの程度進行しているのかはわからない。
しかし、「今の日本、努力さえすれば最低限の生活ができる」、「ホームレスやフリーターは変わり者」、「仕事はある。探す努力が足りない」「生活保護があるんだから、最低限の暮らしは保証されている」といった意見は、もはや幻想でしかない。それでも今の道をひた走るのか、福祉国家へ舵を切るのか、どちらも困難な道程に違いない。
見えない貧困が姿を表わすにつれ、それを生んだ政治・政府への不信やあきらめが強くなり、「自分でやるしかない」という自己責任論を後押しして、格差を悪い形で拡大させている。自己責任という概念は極めて重要で不可欠なのだが、それは社会の諸条件の複雑さを隠蔽するために濫用されやすい言葉でもある。それを教えてくれる人はそう多くはない。
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2008年05月28日

神の存在

「New Scientist」誌でジョン・ミラー教授が2006年に発表したレポートによると、アメリカでダーウィン進化論を信じる人の割合が40%に減少している。この数値は、アメリカ・ヨーロッパ32カ国・日本の中でトルコの次に低い。皮肉にもアメリカの政教分離の原則が、公立学校での天地創造説の教育を禁じたため、原理主義者を闘争へと駆り立てた。反進化論を政治綱領として掲げる原理主義政党の強い政治的アクションにより、理科教育が犠牲となっているとする。
("Why doesn't America believe in evolution?")

『数学者の無神論―神は本当にいるのか』で、著者である数学者のパロウス教授は「神が存在する」という主張を、いくつかの論理のパターンに分類し、反駁を試みる。

1.第一原因論法(第一球を投げるもの)
 物事にはすべて原因がある。その原因とされる物事も、また原因を持つ。原因−結果の連鎖が永遠に続くことはなく、原因を持たない最初の物事がなければならない。そのことを神と呼ぶ。
「なぜ」「それはなぜ」と繰り返し聞く子供に「そうだからそうなんだ」という論理。

2.デザイン論法
自然法則や生命の営みは偶然とすればあまりに複雑で完璧である。何らかの造物主がデザインしたはずであり、それが神だ。人間が存在するために、物理法則がちょうどいい値に微調整されている。その調整をしたのが神だ。

3.存在論的証明
A.神は存在する。
B.この2つの命題はいずれも偽である。

Bが真であれば、AもBも偽である。
Bが偽であるのは、Aが真の場合のみである。だから神が存在する。
といった自己言及的な逆説を用いて論証する。
あらゆることの存在と不在が立証できる。

4.めぐりあわせ論法や預言論法
偶然を必然とする論法。
911が警察を呼ぶ電話番号であり、9+1+1=11で、9月11日は一年の第254日であり2+5+4=11である。一年で9月11日以降に残る日数は111日である。貿易センタービルは「11」に見え、衝突した最初の飛行機が11便であり、「NewYorkCity」「The Pentagon」は11字である。事件の機種であるボーイング767の767×91×11=767767である。聖書はこれらの出来事を預言していた。聖書にはその暗号がある。聖書は正しい。ゆえに神が存在する。
あらゆる出来事、あらゆる数字に同様のことが可能である。

5.その他、確証バイアスに基づく論法
多くの人が神を求め、神を感じている。だから神は存在する。パスカルの賭け※


進化論的生命観を否定する論理は、造物主による生命のデザインを合理的だとする議論と並んで、進化論が直感的には受け入れがたいことにも起因する。
仮に進化論に従って、生物が現在のように複雑かつ合理的な存在として進化するためには、わずかな確率で起こる突然変異が繰り返し何度もおきなければならない。その全ての確率を考えれば奇跡としか言いようがないという感覚は、直感的には理解できる。

しかし適当にサイコロを10回振って、出た数字の並びが(3、5、2、2、4、1、5、3、6、3)だったとする。この通りになる確率は約6000万分の1なので、後から確率的に見れば奇跡的である。しかし、どのようにサイコロを振っても、毎回、奇跡的確率の組み合わせが生じる。星の数ほどいる男女の中から、ある2人が出会ったのは奇跡だという論理と同じだ。確率論から見れば、あらゆる事象が奇跡的確率の結果だと言える。この倒錯が奇跡の存在を証明するために利用される。
少なからず奇妙なことは、自由市場をいちばん熱心に指示する人々の中に、ダーウィンの進化論に熱心に反対する人々――たとえば多くの根本主義キリスト教徒――がいることである。こうした人々は、自然にできる市場の複雑さは文句も言わず受け入れているが、自然にできる生物現象の複雑さにはデザイナーが必要だと言い張る。(※)


著者は宗教的価値を否定するわけではない。
世界や自然の複雑さに対する畏敬の念と驚きを、「神を仲立ちにしないで」認め続けることを、科学的態度として推奨する。
日本人には自然にのみこめる主張ではあるが、著者も本記事冒頭のジョン・ミラー教授同様、アメリカで「神の存在」が政治的な色彩を帯びて党派性を持っていること、それによって科学教育が後退しつつあることを憂慮している。

ブッシュ政権は科学的根拠よりも神の啓示を優先してイラク戦争を開始した。ロン・サスキンドが「1%ドクトリン」と名づけた、1%の可能性があるならそれが起こるものとして行動してしまう原理は、「パスカルの賭けと同じく、信じないことから得られる結果のマイナスが大きいことが、確率が小さいことを上回り、行動の期待値の方が、行動しないことの期待値を上回ることを確実にするのである」という行動経済学のテーゼに行き当たる。
これは、本書が論じる、神の証明のための、確率論の倒錯による奇跡論や、自己言及的な閉じた論理が生じる心理と同じ地平にある。
「神」の存在は、人が科学的合理的意思決定を見失う心理・論理パターンの歴史的な蓄積と言っていい。



※「根本主義」はおそらくfundamentalismの訳。「原理主義」ではない理由は不明。

※パスカルの賭け
1.神を否定して行動したら、神がもし存在する場合、永遠の責め苦を味わうが、神が存在しなければ、一時的な喜びを得られる。
2.神を信じて行動したら、神が存在しなくても失うものはないが、神が存在していれば天国で永遠の至福を教授できる。
3.だから神の存在を認めたほうがいい。


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2008年05月27日

Bastard

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"There will be blood"
一人になりたいと言い続けただけの男の話。PTA渾身の大傑作、石油王の一代記と言われているが、石油王プレインビューの、石油のためにあらゆるモラルをかなぐり捨てるような業の深さが描かれているわけではない。本当に交渉のために「息子」を利用する冷血漢であれば、聴力を失った後のほうが利用価値は高いはずだが治療と教育を優先し、「弟」とは一時的に家族経営の体制を作ろうとした。「息子」「弟」と家族の絆を結ぶことを避け、一人に。福音派の牧師と対峙し、信仰と実利、神と石油との戦いと葛藤を描くわけでもない。PTAがアメリカと映画の歴史に払う敬意は清清しいが、情緒不安定でもプリンの懸賞を集めて世界一周をするような屈折したアメリカ人を描いて欲しいし、石油の炎柱よりも蛙の雨を見たい。"Bastard"と「息子」へ、独り言のようにつぶやくシーンが美しい。家族だけは手に入らなかった自分の人生を呪うわけでもなく、目の前の息子をとにかく罵る凄み。

・・・・・・わたしにとって、暴力に代わるものは、逃避なのです。本質からの逃避ではなく、本質を獲得するための逃避、つまり戦略です。書物が禁じられたら、書物を暗記してしまえばいい――すばらしい術策ではないか。たとえば、映画検閲の問題に対しても同じことです。まともに反旗をひるがえして討ち死にすることはない。検閲の裏をかいて勝つ方法はいくらだってあるのです。暴力よりも、そのほうがいい。わたしは主義主張などのためにたたかうつもりはない。わたしは社会について悲観的な考えしかもっていない。生きていくためには、単純に粗野なモラルを持つ必要がある。いつも「はい、はい」と言って、けっして否定したり拒絶したり反抗したりせずに、そして「はい、はい」の姿勢を偽装しながら、自分のやりたいことだけをやるという精神を持ちつづけねばならない・・・・・・。(トリュフォー、1970年の週刊誌インタビュー、『トリュフォー、ある映画的人生』山田宏一著より)


 

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2008年05月12日

教祖の建築

『にほんの建築家 伊東豊雄・観察記』
では、伊東の特徴を70年代という時代状況の特性に見出す。
伊東に続く世代、たとえば80年代にキャリアをスタートさせた隈研吾や竹山聖ならの世代なら、バブル経済のおかげで独立したその日から仕事にありつけた。ところが70年代に独立した建築家たちは、60年代の国家的事業の波には乗り遅れ、80年代の豊かな経済はまだ来ないという、深い谷間にひょっこり出てしまったようなものだった。国家的建築への熱も、メタボリストたちが大騒ぎした万博が「たったあんなものか」という落胆の中で閉幕して急速に冷めた。

伊東と同じ1941年(昭和16年)生まれには、安藤忠雄、早川邦夫、六角鬼丈、長谷川逸子らがいた。昭和16年組には、丹下、磯崎といった大文字の建築家とは明らかに違うスタンスを取っていた/取らざるをえなかった。

70年代末の磯崎は、昭和16年組に手厳しい。
親戚や知り合いからの依頼にばかりすがって設計する彼らの住宅を、「近親相姦の家」などと歯に衣かぶせぬ表現で斬り落としていた。この集まりでも、「住宅設計などをやっていても世界の建築界から見るとなんの軌跡にもならない」
槇文彦も同様に『新建築』に厳しい批評を寄せる
「彼らは時に奥深そうなことをいうが、本質的に教祖ではない。そして彼らの施主達もまた時の権力者ではない。金持ちの医者であっても、ナポレオン3世やロックフェラーではない。(中略)しかし野武士たちは芸熱心(デザイン熱心)である。だから常におさおさ自分の芸を琢磨するに怠りない。それが主を持たない彼らの唯一のアイデンティティフィケーションであり、命の糧であるからである」

黒川紀章は、「伊東は感性が豊かだが、ムーブメントにはなっていない」と評し、隈研吾には「戦略性に長けているが心の叫びがない」と難じる。
伊東らの世代には、自ら探し出す以外に信じるに足るルールがなかった。ただ磯崎自身、建築が国家を担うことの疑いを自問し、国家、都市、市民と建築との関係を論じ続けていた。1983年には、自身の設計によるつくばセンタービルが竣工し、これは国家不在をかたちによって示したものとしたが、国のプロジェクトを請け負いながら、造形上の操作だけで反逆するという二律背反に、伊東や石山がケチをつけて応酬する。


70年の万博で、メタボリスト達が躍起になって主張した思想が広告代理店のプロデュースするエンタテインメントに見事に回収される。当時デビューした建築家達はそこに建築の敗北を読み取り、国家と建築の蜜月の終わりを感じたのだろう。その後も伊東は個人の身体、経験に立脚した建築を志向し、住宅から商業建築へと活動のエリアを広げていく。国家から個へ向かう磯崎と個から資本主義へと向かう伊東の交叉は、70年代以降のあらゆる分野で見られる大文字の歴史の終わりに対応している。
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2008年05月01日

技術のフロンティア

『社会起業家という仕事 チェンジメーカーII』によれば、2007年、全米4年制大学卒業生の人気就職先ランキングで、トップ10に史上初めて非営利組織が2つ選ばれた。「Peacecorps」(米政府が運営する途上国ボランティアプログラム)と「Teach for America」(有名大学の成績優秀者が卒業後2年間、貧困地域の公立小中学校教師となるプログラム)である。経済成長が停滞し、格差が拡大すれば、実のところ選択肢が広がる、というより多様な選択肢からキャリアを選択するための基準が増える。

視覚障害者向けのデジタル図書館サービスBookshare.orgや、人権侵害情報管理システムのMartus.orgを運営するBENETECHを運営するジム・フルクタマンは、シリコンバレーの盛衰を見た。「あの頃、ここの連中はみな自分も明日、大金持ちになれるかもしれないと浮かれきっていた。でも幸い、バブル崩壊が連中を現実に引き戻してくれました。大金持ちになれるのはふたりにひとりというバブル当時の感覚が、500人にひとりという元の感覚に戻ったんですよ。そして周りを見回すと、新興ビリオネアのほとんどが実力よりも運に左右されている」

ワシントンDCで移民送金の滞留資金をマイクロファイナンスに結び付けている枋迫篤昌は、東京銀行入行後のメキシコ赴任で極貧の人々を目の当たりにして、貧困を金融システムで解決することを決意する。政治経済の不安なパナマ赴任では何よりも素早く対処することを学び、ワシントン赴任ではワシントンのインナーサークル独特の英語とMBAを取得する。彼がマイクロファイナンス・インターナショナル・コーポレーションを設立したとき、メキシコ赴任から20年が経っていた。
「世界銀行などは貧困削減をスローガンに掲げますが、私にとっての貧困は、『極端なうつ症状となり、人間として一切の生産的意欲をもぎ取ってしまう精神的伝染病』なんです。一刻も早く適切な治療をしないと、人間として最も大切な知的生産性という命を完全に失ってしまう。対応を1日延ばしにすることは、何百万もの人を見殺しにしているに等しい。私はよく、国際機関の人たちに言うんです。『あなたの対策が1日遅れたせいで、昨日あなたが見た人たちはもう死んでしまっていて、毎日新しい貧困層が生まれているんですよ…』と」

社会起業を軌道に乗せるのは通常の起業よりも困難なので、強い使命感に加えて適切な戦略と高度なテクノロジーが欠かせないということ、つまり優秀な経営者でなければ社会起業の成功はないという当たり前のことを、本書は雄弁に語る。IT、金融、法律など、ひたすら進化を遂げた各テクノロジーのフロンティアでは、いま「最高・最先端」が「最弱の者」のために開発・利用されるという新しい価値観が胎動している。
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記憶にまつわる映画

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『潜水服は蝶の夢を見る』
ELLEの編集長が脳梗塞で倒れ全身不随となる。唯一動かせる左目の瞬きだけで、自伝を書き綴る。リチャード・ドレイファスが「この生命誰のもの」で演じた全身麻痺の患者のように深刻にならず、意外とあっさりその状況から前向きに生きる決意をする。愛人と会い、モンテクリスト伯を読み、医者に難癖をつけ、ロックイン・シンドロームを生き抜く。ウルトラ・オレンジ&エマニュエルの歌がチープに響いて、逆に主人公の人格が厚く感じられる。
「記憶と想像力」が彼を「潜水服」から解放したと言う。想像力は記憶の産物である。彼の華やかな人生の記憶と、あらゆるものに知的好奇心を編集者魂が生への執着を生み、四肢の不随によってかえって人間の存在への関心を呼び起こす。人は記憶によって生きるのだ、と。同じくローリングストーン誌の編集者ジョナサン・コットが、記憶の一部を失った後に「人間と記憶」について執念深くあらゆる角度から調べあげて『奪われた記憶―記憶と忘却への旅』という力作をものにしたことを思い出した。希望を捨てるなということは簡単だ。だが、まともな人間であれば絶望するような状況の人間に希望を持てと言うことは残酷でもある。二人を支えるのは「知りたい」と「伝えたい」を繰り返す編集者魂だろう。希望や夢だけが人を生かすのではない。


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『つぐない』
タイプライターの音が終始鳴るのは単なる効果音ではない。イシグロと並んで現代イギリスの「信頼できない語り手」の小説家と呼べるマキューアンの『贖罪』を映画化するには相応の覚悟が必要だろうが、後半にかけて描写に少しずつ非現実的なシーンが挿入されていくことで、見る者は徐々に「語り手」の存在に気付き始める。特にフランス北部に派兵された主人公の退却途中の描写は夢の中をさまようようでおよそリアリティがない。そこが事実から物語へ語り手の記憶が変容していくで岐路の表現であり、文芸作品の映画化にありがちな映像の貧困さとは違う。
少女のあどけない夢想で一人の男の人生を狂わせた罪を償うべく、主人公は大学進学を諦め看護師となる。看護した死期に近いフランス兵が、目の前の看護師と記憶とを行き来し、その区分が混濁しながら一つの物語に全人生が溶け込んでいくように死に逝く様を看取ったことが、記憶と物語への贖罪に向けて彼女を後押しする。誰もが失われた人生を負債のように背負って生きている。だが弁済はできない。失われた人生には贖罪と和解(Atonement)が必要であり、ありえたかもしれない人生との比較は賠償と謝罪しか生まない。
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2008年04月13日

検閲・花・実生

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オタール・イオセリアーニの映画は、酒と歌と人間の愚かさ全てを愛し、政治やイデオロギーを無視し続ける。イタリアやフランスの映画のようでありながら、イオセリアーニは旧ソ連ゲオルギア(グルジア)の出身。ゲオルギアで撮った映画は全てソ連では上映を禁止された。
社会主義を批判したわけではないのです。わたしがゲオルギアで撮った映画は、何かに反対している映画ではない。社会主義の存在を無視した映画だったのです。反ソヴィエトではなく無ソヴィエトだったわけです。(中略)だから、これらの映画は、別の時代になっても見ることができる。批判も何もない、そこにあるのは、人生の息吹き、生きることの息吹きだけです。
ひとつ重要なことを言います。ソ連には検閲がありました。検閲にたずさわっていた人たちは、ソ連のイデオロギーに対して、ゲームの規則に対して、屈服した人たちを全く尊敬していませんでした。むしろ、ソ連のゲームの規則に屈服しなかった人のほうを尊敬していました。最終的にわたしの映画はすべて上映禁止になりましたが、そのくせ検閲官たちは「映画をつくりつづけなさい」とわたしを奨励してくれました。わたしも検閲官たちも、ほとんど平等に、それぞれが圧力にあえいでいたのです。検閲官には、正直な映画作家と偽りの映画作家の区別がちゃんとついていました。検閲をするがわも、されるがわも、同じ籠のなかに入れられ、同じような圧力をかける装置の下にいたのです。そうした時代にすばらしい作品をつくれた映画作家は、ゲオルギー・シェンゲラーヤ(『ピロスマニ』'69)、アンドレイ・タルコフスキーら片手でかぞえられるだけしかいません。(「芸術新潮」2007年11月号)


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花と、面白きと、珍しきと、これ三つは同じ心なり
『風姿花伝』「第七別紙口伝」


建築用材で使うなら、それはもう文句なしに実生のほうがいい。製材店で売っているものでも実生か植林かの違いは、年輪の見える木口を見て、目の詰まり具合(年輪の幅)を観察すれば、だいたいわかります。
実生は、自然界の大競争を強いられますから、成長に時間がかかっています。だから年輪の幅が狭く詰まっています。植林のほうは、下草を刈られ、日当たりよく育つので、成長が早く、年輪の幅が広い。目が粗いのです。『宮大工の人育て』菊池恭二著

実生(みしょう):植林ではなく自然に実が発芽した天然木。欅などの広葉樹は植林できず実生となる。
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2008年04月12日

意識と脳死についてメモ

池谷裕二の『進化しすぎた脳』によると、蚊が人を刺すことや、ハブが人を噛むこと、カエルが目の前を動くものを食べようとすることなどは「意識」によるものではない。あるインプットに対して自動的に決まった反応をするだけでは、意識ではなく反射に近い。では何が「意識」を規定するのか。
まず表現を選択できることだという。例えば蚊は二酸化炭素と温度に反応してその対象を刺すが、刺すか刺さないかを蚊が選択できるのであれば意識である。また選択にあたっては対象の情報(蚊の場合は二酸化炭素と温度についての情報)を、選択する短い時間は記憶する必要がある。また選択はランダムにではなく根拠に基づいて行われる必要があり、根拠が存在するためには過去の記憶・経験から選択の根拠を生み出す可塑性が必要である。つまり意識がある状態とは、短期と長期の記憶に基づき選択可能な状態である、と池谷は規定する。

脳死臓器移植をめぐる論点は多数あり、脳死判定基準自体も議論の対象となっているし、脳死判定から臓器移植へ至る医療現場の制度運用にも多くの課題があることが報告されている。中でも反対派の論拠の一つは、「脳死(と判定された)患者に意識が残存している可能性がある」というものだ。

例えば小松美彦の『脳死・臓器移植の本当の話』では、脳死判定患者の臓器摘出時におけるラザロ徴候(手足が動く反応)や血圧上昇、頻脈などの事例を挙げ、現行の脳死判定基準では意識を不可逆に失った状態であると判定できないとする。あるいはそれらの反応が純粋な脊髄反射であったとしても、そのような「あまりにも人間的な動き」が発生する状態を人の死の基準とした場合、感情レベルで納得できるのか、と問いかける。
小松の著作は医学的な死の判定と感情的な死の受容にまつわる議論が混在していて、全体が情緒的な印象があるし、伝聞情報や、新興宗教系出版社の雑誌記事を反例として使うなど語り口の偏りが気になるが、一貫して脳死臓器移植反対の立場から、脳の機能を医療現場が測定しうる限界を示しているのは興味深い。

池谷の本に戻れば、交通事故で植物状態になった患者に対してfMRI(脳の活動の測定方法の一つ)で測定した結果が2006年のサイエンス誌に報告されている。
患者に、意味のない文字の羅列と、意味を成す文章をそれぞれ聞かせた場合、意味のある文章を聞いた時だけ、健常者が反応するのと同じ脳の部位が反応を示した。また患者に「テニスをしているところを想像してください」「自宅の部屋を歩き回っているところを想像してください」と質問したところ、それぞれ健常者と同じ脳部位の反応がみられた。ただしこれをもって「意識がある」とする論文執筆者に池谷は同意しない。意識の存在を示すには、前述したようにあくまで選択可能な状態であることが必要であり、あるインプットに対してある特定のアウトプ
ットを返すだけでは、それが意識だとは断定できないとする。
しかし池谷の言うように選択ができたとして、その選択もアウトプットであるから、ある条件に基づき機械的に選択される状態であれば反射であり意識とは言えないはずである。ある根拠に基づく選択は、その根拠が明確であればあるほど、インプットとアウトプットが一意に対応することになる。結果、ある表現を選択したとしてもそれが意識による選択か反射の結果かは立証が不可能となる。いずれにせよ意識の定義は科学者の間でも意見が分かれており、おそらく反射と意識は独立した反応ではなく、連続的な機能であって、人間はあるレベル以上の複雑な反応を意識と定義するしかないし、経験的にはそうしているのだろう。

死の定義も、同じように連続的な生から死への変化をある段階で切り取って定義するしかない命題である。池田清彦の『脳死臓器移植は正しいか』で論じられているように、判定基準の医学的妥当性以前に、死はそもそも生物学的な意味では判定不可能で、生物は連続的に死んでいく存在である。しかし、人間社会はあるタイミングで人の死を特定しなければならず、ある種の「見なし」によって死を同意し受け入れるものである。そこで現在の社会で最も納得感のある「見なし」が心臓死であるというだけだ。
人の死を判定するタイミングを、心臓死(および三兆候による判定)から、その手前の脳死まで引き戻そうとるす本質的な動機は、「意識の死が人間の死である」という脳への理解ではなく、臓器提供をするために三徴候死では間に合わない、という医療サイド(レシピエント−移植医)のニーズと思われる。

しかし現段階の脳研究では、ドナーの意識の有無を完全に測定する方法を持ちえていない。現行の脳死判定基準で判定される脳死では、意識(小松の著作では、脳幹における覚醒と大脳皮質における認知機能のこととされている)か完全、不可逆に存在しないことを立証できない。
そもそも、意識がいかなる条件に基づいて成立するのかという議論自体が収束しておらず、その状態で医療現場で脳死判定を行うのは、制度が研究を越えて一人歩きしていると言わざるを得ない。ならば研究成果よりも先行して脳死患者から臓器移植を行う是非が問われなければならないし、それでも社会的に有意義な制度だったとしても、研究を超えて制度運用がなされている状況を踏まえて私たちはドナーカードの保持について意見表明しなければならない。現在日本では臓器提供について「NOでなければ同意」と見なすコンセンサスができつつあり、「死の自己決定」を強いる息苦しい社会に生きている。

もっとも、脳死臓器移植制度は、脳と意識についての問題以前に大きな課題を抱えている。現実的にはガイドラインに規定された手順での脳死判定と臓器摘出は困難であり、ガイドライン違反も不問に付される可能性が高い。
また、放置すれば脳死となる脳障害を負った患者に対して、治療ではなく臓器移植準備を行う可能性がある。脳低温療法など最新の治療による回復の可能性に賭けるよりも、ドナーカードや家族の同意があれば治療に優先して臓器移植の準備を行って、患者の死期を早めてしまう可能性がある。さらに、無呼吸テストなど脳死判定方法自体が脳障害を負った患者にとって大きな負担になり、脳死に至らない重度の脳障害の患者が、脳死判定によって脳死する可能性もある。

資本と権威を持つ集団(富裕層、大企業、医療機関など)が実現を求めることは、いずれ実現する。臓器はドナーとレシピエントの数が対応しない圧倒的な希少財であるから、犯罪の温床になりやすいし、公正な市場が成立しにくい取り扱い困難な財で、本来市場に投下されるべき財ではない。しかし財政の逼迫する日本では、経済合理性に基づいた要請に対して、倫理に立脚して抵抗することはいずれの領域でも困難で、脳死や尊厳死においても、一般市民には「高額で難しい治療よりも死」を社会が無言で要求し、一方で「富裕な人のみが受けられる先端医療」が「医療のフロンティアを切り開く」美名のもとに確立している。
人の死が「社会的コンセンサスによる判定」から、「自己決定と自己責任」の領域にシフトしている。日ごろから死について考え、自分の死に方を決定し表明し続けなければいけない社会が幸福な社会と呼べるのかわからないが、もはや避けられない道であることは疑い得ない。


  


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2008年04月03日

傷との対話

矢吹晋著『激辛書評で知る 中国の政治・経済の虚実』はひどいタイトルだが、中国経済論の泰斗による鋭利な中国論。江沢民が毛沢東やケ小平以上に苛烈な反日スタンスを貫いたルーツは何か。江沢民はゲリラ活動家の叔父が死んだ後、その家の養子に入ったとされている。しかし彼はピアノの腕を自慢していたが、ゲリラ活動家の未亡人宅の養子に入ったら、ピアノを習う余裕などないはずだ。そもそも本家の次男が、本家の六番目の弟である妾腹の叔父の後を継ぐ必然性がない。中国の慣習からも考えづらい。ではなぜフィクション臭の強い養子説に固執したのか。

江沢民は、「革命の犠牲者の養子」だと強調しているわけだが、彼自身はブルジョワの息子である。祖父は揚州と南通を結んでいる汽船会社の副社長格だった。父親もその会社の幹部だった。これは何を意味するか。日本の旧支那派遣軍が占領時の大陸でまず押さえたのは、そういう輸送会社であったはずだ。抗戦のために重慶側に逃れたという話はないので、日本軍占領下の揚州・南京地区にとどまったことになる。遺憾ながらその実証はまだできないけれども日本軍に協力していた可能性を否定しにくい。江沢民はそこから生ずる漢奸問題を非常に気にして、ことさら「反日ポーズ」をとらざるをえないのではないか、というのが私の推測である。


スターリンも「裏切り者」の過去を記録したオフラナ・ファイルの存在に生涯悩まされ続けた。権力者の攻撃の対象は敵ではない。「傷」への自問自答が他者への攻撃として実体を持ち、しかも傷は決して消えない。独裁者は誰とも対話しない。自己の傷、コンプレックスとの闘いこそが独裁の源泉であり崩壊の予兆である。
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2008年04月02日

人類学者の終戦

終戦当時小学5年生であった川田順造少年は、教科書に墨を塗る。深川の商家の娘である母と婿養子の父は歌舞伎、新派、長唄を愛し、家は反戦というほどでもない現世享楽型の厭戦家庭であった。下町育ちの音の感覚と、終戦によって既存の文字教育が簡単に否定・消去された経験が、少年を口頭伝承の研究へと向かわせる。
墨を塗りながら、子ども心におもしろく思ったのは、新聞雑誌の訂正広告と同じで、ああここが具合が悪くなったのだなと、かえってはっきり分かり、印象づけられたことだ。同時に、墨を塗ればなかったことになるというのも、なんだか不思議だと思った。これはやはり、「文字に記されている」ということに、異様な価値を与える文化が生む思考であろう。中国政府が、日本の歴史教科書に「書いてある」「書いてない」に極度にこだわるのも、漢字文化圏の、日本の先生であるなら、そして文字に書いてあるかないかということしか、明白に押さえられる証拠がないから、仕方がないといえるのかも知れない。実際には、生きた子どもというのは、教科書に「書いてあること」だから、そのまま真実だと思うほど単純ではない。文字に書かれたことにこだわりすぎるのは、文字をそのまま反映して考え、動く主体性のないロボットのように、生徒をみなすことに通じかねない。
 この体験をしてから十七、八年後には、私は西アフリカのサバンナで、「文字を必要としなかった」人たちの、豊かな声の表現の世界や、歴史意識や太鼓ことばの研究に没入しはじめる。絶対に墨を塗れないし、「なかったこと」にもならない、このサバンナの声と口伝えの世界。七〇〇話ほど私がライブ録音した、乾季の村の夜、夕餉の後の熾火のまわりに皆集まって、昼の秩序では抑圧されている「女、子ども」が中心になって、実にきれいな声で生き生きと語るお話でも、現実の世界で威張っている王様は、例外なく、からかわれ、だまされ、過激なものでは日本の昔話の「俵薬師」と似た筋で、沼に放り込まれてしまう。(「日本を問い直す」、「現代思想」2008年3月号


とてもとても美しいので見つめるたびにもうすっかり嬉しくなってしまうような娘の隣りに坐って、借りもののジープでニュー・メキシコ州を走る、人生はそういうふうに単純なのだ。

もし、人間にはちょっとした思いやりが必要だと考えないですむのなら、この話はおかしな話だ、といえるのだろうが、でも、ほんとに、ちょっとした思いやりを探し求めて人々が経験しなければならないくだらなさは、ときに、もの悲しい。

『芝生の復讐』リチャード・ブローティガン著
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2008年03月23日

eine Flaschenpost

「自分自身の苦しみより他人の痛みにより深くかかわること」、これが収容所にあって人間性を保つための最善の道だと思う。英雄的にふるまうといった気負いではなく、自分を守ろうとする本能がそうさせるのだ。自分自身のことで頭がいっぱいになり、他人の問題を気づかう能力を失うことは、すべてを失うのとおなじである。
『強制収容所へようこそ』イリーナ・ラトゥシンスカヤ著

ゴルバチョフ政権下、女性政治犯の収容所生活の記録。病気の仲間を治療せよとハンストするが、ハンスト破りの人も受け入れる柔軟さが、スターリン時代の男性政治犯とは一線を画す。絶望的な状況でも必ず日々の生活があり、生活にはルールと知恵が求められる。運命が悲惨であるからこそ、生活を大事にしなければ、精神の自由は得られない。

『サラエボ旅行案内―史上初の戦場都市ガイド』は、砲弾が飛び交うサラエボの街と市民の暮らしを、ミシュラン風のガイドブックの形式で紹介する。
ダートゲーム
1992年4月5日のこと、この街の周囲に260台の戦車、120台の迫撃砲、数えきれないほどの対空機関砲、狙撃用ライフル、その他の小型銃が出現した。(中略)いつでも、どこからでも、お望みの火器で、市内のどの場所でも狙い撃ちすることができた。そして実際、彼らはそうした。

現代サラエボ市民
彼らなら最新のダイエット法について本が書ける。唯一必要なのは街を包囲させること――シェイプアップの秘策はそれだ。

メガネ屋
フレームの値段はあまり高くない。けれども近頃メガネのレンズを買いにくる人はいない。メガネをかけると、なにもかもよく見え過ぎるからだ。

みやげ物
一番喜ばれるのは爆弾の破片である。それは歩道の上、道路の上、バルコニー、アパートなどいたるところで見つけることができる。

レクリエーション
ランニング

サラエボ市民にもっとも愛されているスポーツ。誰もがこれを実践している。危険地域の住民たちがそうするように、交差点はどこも走らざるをえない。

子供の遊び
街に発射される手りゅう弾の数をかぞえること。

市内郵便
サラエボは分断されているので、手紙が別の地区に住む人びとに着くには、国外郵便と同様の経路をたどることになる。分断された地区から別の地区へと手紙が届くのに45日以上かかることもある。伝達手段は赤十字だけという地区もある。そんなときはわずか数百メートルの距離を行くために、手紙はジュネーブまで飛ぶのである。

sarajevo2.JPG

砲撃をかいくぐりながら、新聞記者は路上で新聞を売り、学校の階段で授業をして、アーティストは半壊の赤十字ビルで個展を開き、ビデオで映画を上映し、ソンタグは「ゴドー」を演出する。
戦乱による多くの喪失の中、文化が生き残った。文化は、自分たちが今どこにいるのか、これからどこに向かおうとするのか知るための、国連防護軍の情報よりも正確な指針だ。文化の残滓は、絶望ではなくユーモアによって支えられている。怒りを笑い飛ばし、憎しみをからかいながら、レーニンの本を燃やして暖を取り、公園のイラクサでパイを作る。
空腹を満たさず、暖を取ることもできない、そんな無駄で非合理な何かに絶望の淵から情熱を投じることができる。それを品格と呼ぶのだろう。本書を世界に届けたのはそんな力だ。
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2008年03月22日

空気なんか読むな


考えてみると、僕には夢がない。あるのは予定だけだ。文章を書いたり写真を撮ったりして、それを本にするのが僕の仕事だが、こころの中には作りたい本がまだ2、300冊はあって、それを実現しやすい順番にこなしているだけの生活である。

時代錯誤で、ダサくて、儲からないのがわかっていても、どうしても書きたい・撮りたい作者がいて、これを出版しなければいけないと思う版元がいて、それを買わなきゃならないと思った都築が紹介する、世にも幸福な反KY書評集。
自宅で夕食会というとき、それが金持ちの家だったら「友達も連れていきたいんだけど」と言っても、用意がないからと迷惑がられるだろうが、貧乏人だったら「いいよ、みんなでわけよう」ということになる。なにかを差し出すことができるのは、いつでも、持たざる人たちだ

都築響一は、現代の宮本常一だ。「リアル」を求めてあらゆる場所を旅する。
日本だけではなく世界中、あるいは書籍の中にも偏在する「リアル」を求めて旅をする。
音楽評論家が「日本語は果たしてロックに合うのか」と議論する間にも街には流行歌が流れ、教育崩壊を識者が叫ぶ最中も、識者の知らないヤンキーのリアルが、「ティーンズロード」の誌面にはある。
それでどこがいいんですか、と言われると困ってしまうけれど、僕にはこれをパラパラめくって笑って小馬鹿にして終わり、で済ませてしまうことはとてもできない。クラス・メートに馬鹿にされ(深刻ないじめの手記も多い)、教師に嫌いぬかれ(セクハラや体罰の相談も毎号たくさんある)、家庭でも除け者にされた彼女たちのナイーブで脆い心情、似合わない強がりのほころびから滲み出るハッとするほど純粋な感覚、そしてクールでクレバーな処世術を体得する器用さに欠けた彼女たちが、やすらぎを見つけられるのはストリートにしかないという現実、そんないろいろなリアリティが、これほど濃密に詰まった雑誌を僕は<ティーンズロード>の他に多く知らない。
 こうした雑誌が図書館に置かれることはあり得ないだろうし、彼女たちが図書館に来ることも同じくらい少ないだろう。でも、いつもそうであったように、いまも現実は本の中ではなくストリートの上にある。ストリートの上を走っている。<ティーンズロード>は僕に優越感ではなく、しばしば痛みをともなった反省と、そのあとでやってくる勇気とを与えてくれる、貴重な存在なのだ。

ビジネス誌に載る必読書を読んでスキルを磨く大人になんかならなくていい、オシャレ雑誌で紹介されるデザインや旅やマナーの本も読まなくていい。誰にも評価されなくても本当に読みたいものだけを読む、時代の空気など読まずに本を読む本バカの大人になろう。そう思える、勇気の出る一冊。

酔った勢いで友人と交わした約束に従い、冷蔵庫と一緒にアイルランドをヒッチハイクで一周するという、かなりバカげた記録である『Round Ireland with a Fridge』(Tony Hawks)を取り上げて、
 トニーの言うとおり、人にはだれでもいちどは「バカげた行為に走るチャンス」がやってくるのだろう。たぶん唐突に。歳をとるということは、「分別」を身につけるプロセスでもあるわけだが、何歳になっても目の前に突然あらわれる「素晴らしくバカげたアイデア」に飛び込める、無分別という名のエネルギーを持ち続けられたら、人生はずっと楽しくなる。
 オトナたちは、いまの子供は昔にくらべて分別が足りないとか、我慢が足りないとか、いろんなことを言う。でも昔よりずっとおとなしい、あるいは「おとなしくさせられている」子供だって、ずいぶん多い。分別だけは一人前の、そういう若年寄たちを眺めるたびに、僕は哀しくなる。分別じゃなくて、無分別を教えておげられるオトナでいたいと、痛切に思う。

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posted by ysms at 03:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 01 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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