2009年07月09日

長所で過つ

政治が江藤淳の体を大きく損なった、と「新潮」編集人坂本忠雄はいう。
小林さんが心配していたわけよ、彼のことをね。それで、どうなんですかと言ったら、僕は名言だと思うんだけど、人間はね――「江藤」と言わないんだよ――人間というのは長所で過つ、短所では絶対に過たない、と言った。

健康なスポーツマンが早死にし、数字に強い人間が投資詐欺にあい、タクシー運転手が事故を起こし、科学者がニューエイジに走る。慢心といった言葉では片付かず、長所という自他の認識の中に潜む陥穽にこそ、目を向けなければならない。



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2009年06月26日

中景について

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彫刻家の舟越保武が、耳の不自由な松本竣介の後ろから声をかけたところ、「何だ?」といって戻ってきたというエピソードがある。
耳の不自由な画家がなにか霊気にふれたかのごろくふりむくその姿は、わたしにとって恐ろしく神秘的である。そしてまた、そのふりむく眼差しには棘はなく、心を通わせてきた友情にひろい空間をいだいていたというようにもうけとれる。童顔のかおだちのせいばかりではない。舟越氏は澄んだ声で返事したと書いているが、これはむしろ画家竣介の人間の全体からうけるひとつの印象といってもいいだろう。他者に対して自己の存在をきわめて明確なものとして印象づけるのは、自分のなかに他人には想像もできぬような不安の感情がうずまいているからにちがいない。音の世界から遮断されたものは自己の内部の不安におびえ、また、うなり続けているであろう外界の音を予感していては、生命すらあやぶまれることもしばしばあったろうと思う。実際に耳をふさいで街を歩いてみればよい。(「暗い歩道に立つ―松本竣介」『早世の天才画家』酒井忠康著)


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著者は日本近代絵画史の「近代」とは、遠近法における中景の不足を埋めることであり、中景が近代そのものであったとする。そして、竣介は中景に「自覚的に身を寄せて」いた画家であった。

絶望的な遁走といえば、大げさにきこえるが、並木路のある歩道石のがっしりとした塀は、まるで牢獄の外壁のような印象をあたえる。画家の心象をものがたっているらしい帽子をかぶった黒い人物に声でもかけてみたい衝動にかられ、わたしはかつて竣介のヒューマニズムの影であろうと形容したことがある。(中略)都市の風景と慮工面することによって、固有の不在圏を画布に塗り込めた松本竣介でありながら、それはついに断念の思いにもつながっているという逆接をもこの《並木道》はものがたっている。声をかけてみたいという衝動は、けっして画布を告発の戦場にはしなかった画家の、本当の理由を訊いてみたいとの思いにかられるからであるが、おそらく添景の人物は無言のままに通りすぎてゆき、川沿いの一隅で都市の廃墟を予感し、橋の上で日の暮れるのをまっているのにちがいない。(同上)

画家の抵抗は、良心や創作を踏みにじる時代を声高に告発するものではなく、内なる絶対不可侵の領土を守り続けることであった。領土を無傷のまま死守することと、感覚を研ぎ澄ませて外界の音を聞くことを、稀有な回路で支えたのが、モディリアニに学んだ松本竣介の稀有な黒い線であった。





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2009年06月22日

神話と音楽

子どものころから作曲家や指揮者になりたいと夢みていたレヴィ・ストロースは、戦中、亡命先のニューヨークでフランスの大作曲家ダリユス・ミヨーと会う。
「自分は作曲家になるという自覚を、いつからもたれましたか」と私は尋ねました。ミヨーはこう説明してくれました。彼が子どもだったころのことです。ベッドのなかで少しずつ眠りに落ちようとしているとき、ある音楽が聞こえてきて、彼はそれに耳を傾けました。しかしそれは、いままでに聞いたこともないような音楽でした。ミヨーはのちになって、それがすでに自分で作った音楽だったことに気付いた、と言うのです。


レヴィ・ストロースは音楽と神話を、言語という親から生まれ、異なる方向を歩み、再び会うことのない姉妹に例えており、ならば彼は音楽家を自らの兄弟と見なしていたとしても不思議ではない。
神話と音楽の類似した構造の研究は、音楽家を目指した彼を魅了したテーマの一つであったに違いない。例えばバッハのフーガとそこでのストレッタは、善と悪の繰り広げる遁走の物語と二つの原理の統合によって争いを解決するという、多くの神話に見られる構造を無意識に拝借している。ソナタ、シンフォニー、ロンドなど、様々な音楽形式は、同じ構造を持つ神話の存在を示すことができる。文学の嫡子は神話から小説、小説からセリー音楽へと継承されている。


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2009年06月09日

恐怖について

グランドキャニオンの絶壁の前に安全用の柵が設置されていないという指摘から、小沢一郎の『日本改造計画
』は書き起こされていたと記憶している。
事故とその責任追求を恐れ規制だらけの日本社会で、自由と自己責任の文化を育てようと主張する小沢に、当時の日本人は新しい何かを感じていたはずだ。その後小泉政権に引き継がれたその国家観の末路は誰にもわからないし、小泉も小沢ももういない。

「Atlantic」誌08年11月号で、記者のジェフリー・ゴールドバーグは、アメリカの空港での搭乗検査をあざ笑うかのように、危険なモノを機内に持ち込むことに成功する。アルカイダのTシャツ、イスラム聖戦旗、ヒズボラのビデオテープ、アラファトの空気人形、ポケットナイフ、ベイルートとペシャワールのホテルのマッチ、防塵マスク、ロープ、ライター、爪切り、8オンス(220ml)の歯磨き粉、外国の水、カッター。これらをこっそり機内に持ち込もうとして、何十ものセキュリティゲートを通るが、4回だけもう再検査され、爪切りとシェービングクリームの缶を指摘されただけであった。ある空港では、胴体に装着した80オンス(2.2L)のビールを入れられるBeerbelly(ビールッ腹)という器具はセキュリティーを通過したが、手荷物の8オンスの水の瓶は没収された。
ゴールドバーグは、TSA(アメリカ運輸保安局)の職員によるセキュリティチェックは、厳しいチェックの体制を見せることで乗客を安心させる、劇場的な効果しかないと結論づける。
実験したようにテロリストを空港で摘発することはできない。それならば、貴重な税金は、テロリストが空港に来る前の諜報活動に費やされるべきではないか、と。

米国は自由で自己責任、リスクを取る文化がありセキュリティも軽い、日本はその逆でリスク回避的国民性あるという単純な図式で国民性や政治を捕捉しようとする議論には無理が多い。
イラク攻撃に見られる米国のリスクテイクは、多くの攻撃と同様、リスクを過大評価する不安に背中を押された結果だと知ったならば(1%ドクトリン)、リスクを把握できず恐怖をコントロールできないという意味で日米に大差はない。
アメリカの手荷物検査も、ロンドンの監視カメラも、一度不安に陥った人間が微小なリスクを過剰に回避する心理から抜け出せないというプロスペクト理論の好例である。文明社会の不安は見えない敵を生み、安全よりも安心のために多くのエネルギーを消耗するが、安全が強化されるほど安心からは遠ざかるという逆説を生きなければならないのは洋の東西を問わない。

「グラン・トリノ」で、隣に越してきたモン族の内気な少年にセルフメイドな男のあり方を教える頑固老人イーストウッドは、同じ骨法であっても『初秋』で依頼人の息子を一人前のマッチョな男に鍛えようとする私立探偵スペンサーのような「強きアメリカの父親」ではない。
スペンサーは闘い方を教えたが、イーストウッドは攻撃と復讐の連鎖を断ち切るために自ら差し出すもの、つまり犠牲のありかたを少年に教えることになる。

内なる恐怖の根源と対峙しなければ、恐怖は取り除けない。
先制攻撃と、セキュリティ強化による防御は、恐怖そのものを何ら減じないという点で同工異曲でしかなく、攻撃と防御は表裏から手を組んで恐怖を隠蔽し、不安を増大させる装置である。
劇中、銃を向けて不良を敷地から追い出し、不良のアジトに乗り込んで相手を殴ったイーストウッドが、攻撃と防御を超えた地点から難題を解決するに至るまでには幾多の犠牲を伴った。
犠牲を差し出すことを拒んだ私たちは、犠牲の向こうにイーストウッドが見たユートピアとは正反対の、過防備、過監視、過攻撃社会を生きていかなければならない。

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2009年06月08日

象徴主義について

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唐突にここで庭園と彫刻に活動の場をもったふたりの芸術家、イサム・ノグチと流政之を比較しておきたい。
ふたりとも日本的な完成を基礎としながらも、近代彫刻の新しい地平を切り開き、さらには庭園やランドスケープ・デザインにまでその活動領域を拡大していったという点で、多くの共通部分をもつ。うっかりするとどちらがどちらか分からなくなってしまうほどだ。
けれども「象徴主義的」という発想の尺度からこのふたりを比較するとき、イサム・ノグチにはより抽象性が強く、流政之は時折具体的な意味に接続する言葉を用いた、「象徴的」な作品を作るように思う。これはどのようなことを意味するのであろうか。
おそらくイサム・ノグチの抽象性の高さは彼の作品世界の自立性の高さ、いいかえれば近代性の高さを示すものではないか。それに対して流政之の「象徴性」への傾斜は、彼の作品が、過去の文化がもっていた歴史的世界観をある程度前提とした、折衷的正確をもつものであることを示しているように思われる。どちらが優れている、どちらが純粋であるといった問題ではないが、年長であったノグチの方がより近代に生き、流政之の方が過去との狭間を意識しているように思われる。

UP6月号 「近代建築論講義―5 象徴と自然 庭園の近代」鈴木博之著
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2009年03月27日

子どもの貧困

子どもの貧困―日本の不公平を考える
』で、著者は、先進諸国に比べて日本の子どもの貧困率が高いこと、政府の子どもへの支援が手薄であることを多くのデータを用いて立証している。
税や社会保障による再配分の結果、日本の子どもの貧困率はかえって悪化しているといった驚くべきデータの数々で日本の子ども政策の不備が検証され、日本の未来を考える上で重要な一冊だと言える。
ではなぜ日本は子どもへの支援を怠ってきたのか。背景にある子どもの貧困が政策課題として表面化することがほとんどなかったのか。これらの根本的な疑問は本書の読了後も解決されない。(それはもちろん著者の責任ではない)

著者は「全ての子どもに与えられるべきもの」というアンケート結果の国際比較に注目する。貧困とは、収入の多寡よりも、その社会で合意された「与えられるべきもの」が与えられない「剥奪状態」のことだと定義できるからだ。

例えば周囲の子どもが持っている「おもちゃ」について、日本は12.4%が「与えられるべき」と答えたのに対して、イギリスは84%。
つまり、それ以外の人々は、「経済状態などによっては与えられなくても仕方ない」と考えていることを意味する。
「新しい靴」は、日本が40.2%、イギリスでは94%。
「歯医者に行くこと」は、日本が86.1%、オーストラリアでは94.7%。

つまり、日本人の87%は、子どもが、周りの子どもが持っているおもちゃを持っていなくても仕方ないと考え、60%は新しい靴がなくても仕方ない、14%は子どもが歯医者に行けなくても仕方ないと考えているということになる。

他国のデータが少ないので読者は判断しづらいが、先進国の中でも日本では「子どもに与えられるべきもの」の期待値が低いと著者は結論づけている。

なぜ、「子どもに与えられるべきもの」の社会的合意は、低い水準にあるのか。
「高齢者の不支持」という仮説がある。戦中戦後のモノがない時代を生き抜いてきた経験に比べれば、今の子どもの相対的貧困は生ぬるい・共感できない、という高齢者を中心とした意見がスコアの平均値を下げているという仮説だが、若い世代と年配世代はほぼ同じ値を示しているのでその仮説は退けられる。
また、子育てを巡る環境は日々変化しており、現在子育てをしていない人には「子どもに与えられるべきもの」のイメージができないのではないか、という仮説も、子育て中と子育て中でない人のスコアが同じことから、却下される。
著者は日本人が持っている3つの「神話」にたどり着く。他の子供たちも似たり寄ったりであろうという錯覚を起こさせる「総中流神話」。家庭環境に関わらず、真面目に勉強すれば成功の機会は等しく与えられるという「機会の平等神話」、そして『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』に象徴される裕福でなくても温かい家族のもと子どもは幸せに育つという「貧しくても幸せな家庭神話」。
著者が本書で検証してきたのは、子ども期の生活の充足と、学歴、健康、就労、所得、結婚には密接な関係があるという動かし難い統計的事実だが、この神話によって日本人は子どもの貧困に鈍感になっているのではないか、と推測する。

子どもには選挙権がない。そして本書で大きな課題とされている母子家庭においても(日本は母子家庭の貧困率が特筆すべき高さである)、母親は子育てと仕事に追われ、選挙に行く暇もないだろう。子どもに限らず貧困という問題は救われるべき人が政治勢力たりえず、子どもは特にその傾向が強くなるというジレンマを抱えている。
つまり政治家が子どもの貧困削減に取り組んでも、選挙の得票に結びつきにくい。子どもの貧困が政治的なイシューとして取り上げられるには、メディアと世論が沸点に至るのを待つしかないのだろうか。


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2009年02月26日

理性について

多人数で行われるチキンゲームを、社会的チキンゲームと呼ぶ。
それは以下のようなパーティーゲームに応用される。(『理性の限界』高橋昌一郎著)
―ルール
・ゲスト全員に紙を配って、100ドル/20ドルのどちらかを記入してもらう。
・ゲストは互いに相談できない
・ゲストの中で1人でも20ドルと書いた人がいれば、全員が書いた金額を受け取ることができる。
・全員が100ドルと書いた場合、ゲストは誰も賞金を受け取れない

1984年、全米科学振興財団が『サイエンス』誌上でこの実験を行った。
読者は100ドルか20ドルのどちらかをハガキに書いて財団に送る。
100ドルの希望者が全体の20%以下であれば(つまり20ドルが80%以上であれば)、参加者全員に書いた通りの金額を支払うとする。
ロイズ保険に保険を拒否されつつも、3万人以上の参加者があり、結果、35%が100ドルと記載して、賞金が支払われることはなかった。



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2009年02月05日

革命について

『CHEチェ 28歳の革命 | 39歳 別れの手紙』

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レーニンはローザ・ルクセンブルグを評して、「鷲は鶏よりも低く飛ぶことができる。だが鶏は鷲ほど高く飛ぶことはできない。ローザはいろいろと誤りをおかしたにもかかわらず、なお依然として鷲であったし、また現在も鷲である」といった。(※)
革命家が鶏より低く飛べる鷲だとすれば、彼も同様に鷲であり続けた。

革命家と革命を主導する人間は異なる。革命の主導者にとって革命は政治体制刷新の一つの手段だが、彼は命を賭して一切の政治的解決を拒否し、首尾一貫して革命家であった。生きながら革命という抽象的な概念の象徴であり、破壊や断絶という歴史の中の点を、線や面として生きなければならなかった。リンギスは彼を地上に存在しない抽象的な“男”の象徴とみた
もちろん誰もが、一人の生身の人間が何かの抽象概念を象徴し続けることなどできるとは思わなかった。
革命に勝利することはできても革命家でいつづけることは不可能だと考えただろう。
それが喘息持ちの金持ちの息子であればなおのこと不可能であると思った。
ボリビアの政権もCIAはもちろん、革命軍の仲間ですら同じ疑問を抱いた。
だが彼は、革命にこそ自分のふるさとがあるかのように慈しみ、また革命家を人の高度に成熟した段階であると定義して、銃を持ち山中を歩いた。
ソダーバーグはラテンアメリカの反米主義の隆盛と関係付けて、革命をロマンチックに描いたり、能天気にゲバラをアイコン化することを丁寧に避ける。
作中、ゲバラは多くを語らず、他の共産主義者との連携を拒否し、軍規を乱した隊員を粛清する。
起伏のない地味な闘いを継続するため、組織のテンションの維持に苦心するゲバラの姿は、Tシャツにプリントされた英雄とは程遠い。
2作目においてその傾向はいよいよ強まり、映像は説明を拒否し、ボリビアの山中を、仲間が斃れながら敗走し続ける一行を突き放すように映す。
食料・武器は減り、隊員も苛立ち、CIAが支援する政府軍の情報戦にも破れ、喘息の発作も起き、革命の目的であったはずの農民の支持はついに得られない。
山岳地帯でメディアもなく都市の暮らしも知らない自給自足の農民にとって、革命は、医師でもあるゲバラが家族の病気を治してくれる以上の価値は持たないのだ。
行軍を追う映像は単調で、劇的な戦闘も、情熱的な演説も美しい回想もなく、ソダーバーグは勇気を持って革命軍を退屈に撮った。

ボリビアでのゲバラは理論的にも実践的にも誤謬を重ねた。
革命は苦しく、その苦しさが人を革命家へと成熟させるとゲバラは信じながら、多くの人に裏切られた。
喘息の発作のまま葉巻を燻らした。
離脱、裏切り、失敗、発作が繰り返す、不毛としか思えない行軍で、ゲバラはゲリラの仲間も共産党も農民も、乗っているロバすらも否定して、革命に対してだけ忠実であろうとした。
政治家であるよりも、最も苦しい革命家であることを選び、革命家として死んだ。敵も味方も不可能だと思った、革命の象徴であり続けた。
グランマ号から海を眺める彼の目から、革命家としての純度と強度だけは痛々しく伝わる。

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ローザ・ルクセンブルグ『獄中からの手紙 (岩波文庫)』訳者解説より
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2009年02月04日

環境について

2008年は地球温暖化にかかわる懐疑論を主張する本が爆発的に出版された年として特徴づけられる。洞爺湖サミットに向けての、メディアにおける環境の議論は「温暖化バブル」とでも言うべき状態で、「環境問題」を地球温暖化に集約し、その解決のみが環境の対策であるとも言わんばかりの異常な状態であったが、その一方で、地球温暖化の原因がもっとも中心的な温室効果ガスである人間由来の炭酸ガスの増加にあるということに対する懐疑論から、地球温暖化がネガティブではないという議論、果ては地球温暖化自身をも否定する議論が噴出した。
 地球温暖化のみを問題化し、多様でもっと本質的な環境の問題を見ることができないのはもちろん問題であるし、地球温暖化に関する「事実」に不確実性が高いのも事実である。しかし、だからといって懐疑論を声高に主張し、環境対策自体を否定することは本質を見誤っている。そもそも、問題が「不確実性」にあり、今までの人間の環境にかかわるあり方を根本的に見直し、不確実性を前提としてどのような問題解決をしていくべきか、ということが「環境問題」ということの本質であるはずである。(亀頭秀一、「みすず」09年1-2月合併号)
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2009年01月22日

創設について



アメリカ人による憲法崇拝を考える場合、崇拝の対象は"constitution"、つまり書かれた文書としての憲法と同時に「構成する」行為でもあるとアレントはいう。

百年にわたり非難されてきた憲法が、なお崇拝の対象であるという奇妙な事実が導くのは、
新しい政治体を積極的に創設したという出来事それ自体の記憶が依然として続いているために、この行為の実際的結果であるこの文書そのものが敬虔な畏敬の雰囲気のなかにずっと包みこまれていて、この雰囲気のおかげで出来事と文書の両方が時間の攻撃や環境の変化から保護されてきたのであると結論したくなるだろう。そして、教義の意味におけるconsttitutionの(憲法典についての)問題がもちあがるべあいでも、その行為そのもの、そのはじまりそのものが記憶されているかぎり、共和国の権威は安全であり、無傷のままであろう、と予言さえしてみたくなるだろう。

「はじまり」は神秘の絶対者によるものではなく、はじまりの行為そのもののうちにあったという。
 アメリカ革命の人びとが自分たちを「創設者」と考えていたという事実そのものが、新しい政治体の権威の源泉は結局のところ、不滅の立法者とか自明の真理とかその他の超越的で現世超越的な源泉なのではなく、むしろ、創設の行為そのものであることを彼らがいかによく知っていたかを示している。
アメリカ革命の人びとにかんするかぎり、彼らが完全に知っていた創設伝説は、ただ二つしかなかった。イスラエル人のエジプト脱出という聖書の物語と、燃え落ちるトロイをのがれたアエネアスの放浪というウヴェルギリウスの物語である。二つとも解放の伝説であるが、一つは奴隷からの解放、いま一つは殲滅からの解放である。そしてこの二つとも、中心のテーマは約束の地の最終的制服か、あるいは、ヴェルギリウスがその偉大な詩の冒頭ですでにその現実的な内容を示しているように、新しい都市国家の創設であるか、ともかく将来の自由の約束であった。

伝説は、新旧の秩序の断絶、「裂け目」だと教える。
それは、自由は解放の自動的な結果でもなければ、新しいはじまりは終りの自動的な帰結でもないということである。革命は、終りとはじまり、もはや存在しないもの(no longer)とまだ存在しないもの(not yet)との伝説的な裂け目にほかならなかった。

危機のたびに時代は英雄と伝統を創造してきた。先達の築いた栄光の原点へ回帰するべく、英雄は破壊と建設の裂け目に表れ人々を導く。
原点回帰、つまり海を渡り苦難を乗り越え国家を築いた着いた先祖の創設の精神へ回帰せよとアメリカで繰り返し説かれる。危機意識から生まれる国民の結束は、連続する栄光の歴史の主体であるという国民の自意識をより強固にするだろう。その主体は主体を際立たせる他者を求め、外国とマイノリティがその他者を演じる。
海を渡り国家を築いた人々の末裔でも、奴隷として渡来し辛苦を舐めながら公民権を獲得した人々の末裔でもなく、創設や革命の伝説とは無縁に「ただそこにいた」始原を持たない先住民は、伝統回帰の時代において、創設の歴史を共有しない他者としてさらに際立つだろう。
そして、アメリカで伝統回帰と軌を一にして、アメリカと創設伝説の水脈を同じくするイスラエルにおいても建国の伝説は強固になり、ただそこにいた「他者」への排斥が矛を収める日は益々遠のくに違いない。
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2009年01月15日

痛みについて

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文藝春秋 2月号の「ドキュメント昭和天皇の最期」で、佐野眞一は昭和天皇の身体が滅びゆく(同時に執念のように奇跡的な回復をみせる)昭和末期を起点として昭和を総括し、平成の難題の萌芽を読み取ろうとする。侍医の伊東貞三も、天皇の驚異的な生命力と人間離れした我慢強さに驚きを隠さない。
陛下は本当に痛いとか苦しいとかおっしゃらなかったですね。陛下のような患者さんは見たことがありません。普通の患者さんは、医者を変えろ、セカンドオピニオンを求めたい、というふうになるものですが、陛下の場合、首から下はすべて医者に任せているという感じでした


あるとき、伊東が天皇に「お痛みですか」と尋ねたことがあった。「痛いとはどういうことか」というのが、天皇の返事だった。

首から下を医者に任せているのではない。また我慢しているのでもない。昭和天皇にとって、自分の身体はもとより自分のものではないのだ。その信念は幼少期より培われてきたものに相違ない。偉大な明治天皇と病弱な大正天皇の2人の間を常に引き裂かれるように、激動の昭和期を元首として君臨し続けた天皇にとって、それは至極当然の身体観であったはずだ。

自分の身体は自分のものではなく、この国の歴史にこそむしろ帰属するものである、と。すなわち歴史に奉仕するための「玉体」であるとして、肉体的な「痛み」そのものを捨てて生きる宿命を負った昭和天皇の凄みを、ただ読者は感じる。

戦後、皇族がその身体を歴史に捧げ「痛み」を捨てる必要がなくなったこと、即ち人間になり身体を持ち痛みを感じることを多くの戦後の良心が歓迎した。その一人である中野重治が「五勺の酒」
で描いた行幸の昭和天皇を戦後の起点として、日本人の家族観も変わりそれに伴い皇室も変った。
だが歴史のために身体を捨てた男に、戦後身体を取り戻すことを強いることなどできるはずもない。昭和天皇の身体のみが遂に最期まで戦後に馴染むことなく玉体のままであったということになる。
ここで昭和の宿命を見ず、いたずらに雅子妃の「心の病」を難じてみせるのは佐野が冒頭で自らに禁じているはずの、昭和を「セピア色」に強調してみせる悪しき「郷愁」に過ぎない。


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2009年01月14日

憎悪について


戦時中になると、ユダヤ人迫害から物質的に得をする人びとの輪は広がった。ユダヤ人の没収不動産や商品が競売にかけられたからだ。(中略)港湾都市ハンブルグでは一九四一年はじめから戦争の終わりまで、ユダヤ人財産が競売にかけられない日は一日とてなかった。(中略)少なくとも10万人の市民が落札して、ユダヤ人迫害から利益を得た。もっとたくさんの人たちが競売で何が行われているかを知っていたし、それについて新聞で読んでいた

ナチスが巧みな宣伝工作によって国民を騙した/欺いた/洗脳したといった主張を本書は退け、「積極的に」ナチスに協力していくプロセスが丹念に立証されている。
もちろんナチスは注意深く世論を見極めながら政策を打ち出していくが、国民はナチスの政策がどのような犠牲者を生んでいるか知りつつも、積極的に支持することに変わりはなかった。

例えばナチスの意図を超えて(ナチスが自重を促したほど)多くの国民がゲシュタポへの積極的な密告者となった。密告されたものがどういう末路を辿るのか知りつつ、「密告は家族内でも友人や同僚のあいだでも、軍隊内でもおこなわれ、社会のどの単位も例外ではなかったようだ」。国民はナチスに騙されたのではない。普段から気に食わない相手を「あいつはユダヤ人支持者だ」と密告するような憎悪の連鎖がいとも簡単に家庭にまで浸透していた。またナチスは雇用を生み、アウトバーンを敷き、所得を増やした。自身の生活の向上のために、嫌いな隣人や、犯罪者、障害者などを排除したほうがいいとする思考が、当時のドイツ国民に定着した以上、最終的にユダヤ人の大量虐殺は、現状からの小さな一歩でしかなかったと思われる。

6000万人のドイツ人の積極的な協力の事実が明らかとなった今日、ナチスによるドイツ国民への集団催眠や大規模詐欺のような文脈で当時を語ることに意義は見出せない。ナチスは実際に、雇用を生み、アウトバーンを作り、ファミリーカーを約束し、オリンピックを開催した。大恐慌を乗り越え、数百万の人が雇用を獲得し、生活費が上がらないのに所得が増えた。ドイツ国民がユダヤ人問題の最終解決に向けて、少しずつだが一直線に心理的土壌を耕していったことは想像に難くない。

ヒトラーの意図、ナチスドイツの政治体制、国民世論の全てが相互に「積極的に」影響しあって悲劇を生んだ。ヒトラーやゲッベルスなど指導者の責任は問われなければならいが、犯人探しに陥ってしまえば、その他の支持者を免責することに他ならない。ゲッベルスのプロパガンダが「天才的」であったという文脈も、実態を反映したものとは言えず、ドイツ国民の免罪符として(天才だから騙されても仕方ない、ということ)機能してきた。指導者対国民という図式を超えて、戦争は総力戦であったことを本書は伝える。少数の狂気ではなく多数の「自分に被害がない/ちょっと得するなら何も言わない」という無関心が、戦争を生む。日本もそうであったし、ブッシュのイラク戦争も本質的には同じ構造を引きずっていた。人類が多少なりとも進歩したとすれば、このような研究が刊行されているということだけかもしれない。


当時、多くのドイツ国民は、ナチスの期待を上回るペースで積極的にゲシュタポに密告した。
なぜなら密告の多くは、「個人的思惑にもとづいて」なされた。つまり、個人的に憎い相手や競争相手を、ゲシュタポに密告するという形で、密告制度を利用した。例えば「ユダヤ人女性と関係を持った」、「ユダヤ人の店で買い物をしていた」など。

密告されたものがどういう末路を辿るのかも国民は知っていた。
密告は家族内でも友人や同僚のあいだでも、軍隊内でもおこなわれ、社会のどの単位も例外ではなかったようだ。

ヒトラーは個人的理由での密告の急増に悩み、内務大臣が気まぐれな密告を止めるよう命令を出したほどだ。

個人的動機の密告であっても、「ユダヤ人にたいする悪意と憎悪を促し、広めたのである」
ヴィクトール・クレンペラーは日記に、通りでユダヤ人に挨拶することさえ危険になり、無謀な行為となったことを記している。市民のだれもが、明らかに無辜の人であっても、完全な法律的免責をもって密告者が密告することを知っていた


安楽死も積極的に行われた。
看護婦についての最近の研究によると、彼女たちは、たんに「生きるに値しない生命」にたいする否定的態度をとっただけではなく、複雑な多くの理由で、時には納得しないままで、計画の実行に参加した

多くの普通の市民たち、それにカトリック、プロテスタントの宗教指導者が「安楽死」を原則的に非難しないで、ある状況下ではむしろ正当化されるとみなし、さらに新旧両教徒の指導者のなかには一九四五年以後もその考えを変えなかったという証拠がある

ゲーツ・アーリーは安楽死政策がのちのジェノサイドにつながる心理的土壌を整備したと説く。安楽死殺人の情報があえて漏洩されるよう意図されていたとする。
数多くのドイツの家族は抗議もせず、承認さえして身近な肉親の殺害を受け入れる態度をとった。そうすることによって彼らは来るべき大量殺戮政策の実行に向けた心理条件をつくり出したのだ。肉親が殺害されているというのに、それに抗議しないくらいなのだから、彼らがユダヤ人、ジプシー、ロシア人、ポーランド人の殺害に反対するはずがなかった

多くのドイツ人は、ナチが政治犯と烙印を押したものが弾圧されるのを明らかに支持した、そして、あらたに設けられた強制収容所に政治犯が送られるのを見て喜んだ。収容所が創設されるとさかんに宣伝され、収容所近辺の地元住民でさえ、総じて収容所に賛成した

ゲシュタポやナチ親衛隊だけではなく、制服警察とクリポ(刑事警察)はホロコーストの先兵となった。「市民の多数は通常、犯罪者、「社会の屑」とみなされる人たちを警察が排除するのを見て喜んだ」

歴史的な反ユダヤ主義に加えて、第一次大戦の敗戦による巨額賠償は急速に政界進出してきたユダヤ人が原因だとする、それまでの政治に対する国民の屈託(『ユダヤ人 最後の楽園―ワイマール共和国の光と影』)。その後ナチス期での経済的成長、密告制が増幅させた隣人への不信と憎悪、国家の安定のために多少の犠牲は仕方ないというプロパガンダ。ユダヤ人問題の最終解決に支持を得るための数多くの要素をナチスドイツが備えていたことは間違いなく、ドイツ国民は一歩ずつ、後戻りすることなくその道を歩んだ。

指導者と国民はいつでも共犯である。ユダヤ―イスラエルは同じ道を歩むのだろう。イスラエル政府は「国民」の強い支持を背景にガザのパレスチナ人を「最終解決」可能だと考えている(『ユダヤとイスラエルのあいだ―民族/国民のアポリア』)。小さな憎悪の波が共振して大きな波になり、一民族を消滅させることを正当化した悪夢から60年経過して、その歩みを引き戻す方法論を国際社会は獲得できていない。


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2009年01月05日

「他者」たる民

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内田樹は、一見すると似つかないサルトルとレヴィナスのユダヤ人論に一つの共通点を見出し、ユダヤ人とは「そのつどすでに遅れて登場する」人々であるとアクロバティックに規定した。始原に遅れてあらわれ、有責性を引きうける民、その有責性への自覚と葛藤を「ユダヤ的知性」と彼は呼ぶ。(『私家版・ユダヤ文化論』


サイードは『パレスチナとは何か』において、パレスチナ人のアイデンティティは「他者であること」だという。多くの文化には主体があり、主体が外部の他者を認識して、主体と他者の弁証法が建国の英雄や異質な怪物を生み、主体としての強いアイデンティティを形成する。サイードにとって、パレスチナ人は、最初からすでに主体を持たない「他者」であった。
「パレスチナ」とは、他者たちにとっての意義を多分に帯びたものなので、パレスチナ人は、他者たちにとっての切迫した重要性というものをも同時に感知することなしには、親密に自分のものとしてパレスチナを知覚することができないのだ。一応のところ「私たちのもの」ではあるが、未だ十全に「私たちのもの」ではないというわけである。

パレスチナ人は、出エジプト、ホロコースト、長途の行軍といった中心的な物語を持たない民である。それゆえ自己について他者からの規定を待たなければならず、その他者的な存在が、外部へ届けるべきメッセージの強度を維持し難くさせている。
私たちの歴史には、自らの未来の行程を定める上で規範となるものを確立するような大きな出来事(エピソード)はない。その理由には、私たちの過去が今もなお未整理で信用も傷つき、同化されるに到っていないということもあるし、私たちが、自らの境遇を是が非でも変革することを強制されずに(あるいは、その能力を持たないまま)別れ別れの生活の困難に耐えているということもある。


それでもサイードは、論争の余地のない事柄がいくつかあると述べる。

1.歴史的にパレスチナ人が本質的に「使い捨ての民、従属民、古典的な帝国主義のいう劣等人種と見なされてきたこと」。自らが提供したのではない権威(国連やイスラエルやアラブ民族主義など)の持つ見解を自分達で内面化してしまって、脱中心化されているということ。

2.「シオニズムと合衆国との連携こそが」今日に至る簒奪を引き起こしているということ。「戦後の社会をできれば遠く隔たった敵意に満ちた地域においてゼロから始めたいという願望は、合衆国の立案者たちにとって魅力的だったのである」

3.今日の世界システムには、パレスチナ人が現在の悲惨な状況を乗り越えてパレスチナ人として存在するための方法も展望もないということ。

基盤が欠落し、起源を失われた「他者」たるパレスチナ人は、常に中心から離れた場所を不断に移動する。
帰還(アウダ)を拒まれ、「移動を強いられた他者」たるパレスチナ人は、未完状態の中を展望もないまま暮らし続けている。内田の語る「遅れ」は、パレスチナ人が担わされている他者たる自我と呼応するはずだ。

サイードは本書の扉に、パレスチナの代表的詩人、マフムード・ダルウィーシュの詩を置いている。
最後の辺境も果てた後に私たちはどこに行けばよいのか、
最後の空も尽きた後に、鳥たちはどこを飛べばよいのか。

惨状を救うために必要なのはレトリックではない。
もし内田のレトリックが意味を持つとすれば、ユダヤ人よりさらに遅れてきた民、始原を失い、あれゆる有責性を引き受けた民を、内田の言う「ユダヤ的知性」が覚知し包摂するための回路を開く時だろう。
そうでなければ、反ユダヤ主義が欲望するユダヤ人という存在と、内田の語るユダヤ文化は、「ユダヤ的知性」という存在を現実のユダヤ人と切り離して理想化する点において、結局は同じ地平にある。

 



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2009年01月03日

時間について

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時間というものには、ふたとおりの数えかたがあるように思われる。ひとつは、一から始まってこれに、無限に一単位(年でも秒でもいいが)ずつ加えて行くやり方で、私たちはそのようにして、小刻みに未来を生きている。もうひとつは、たとえばロケットの打ち上げの時の秒読みのように、あらかじめ未来へ区切った時点へ向けて、一単位ずつ時間を消していくやり方である。残り時間がゼロになったときそれが起る。未来が終るのである。戦争中、私たちに可能であったのは、ただ後者の数え方であり、戦場から兵士が書き送る書簡の一つ一つは、このようにして消去されて行く時間の確認にほかならなかったのである。『海を流れる河―石原吉郎評論集』



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2008年11月28日

冒険について

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冒険家と呼ばれる人々は、危険を顧みず難所にチャレンジし続ける、命知らずな人々のことではない。
危険を冒した時点でその人は冒険家ではなくなる。真の冒険家は私たちが思っている以上に臆病で、命懸けのチャレンジなどもってのほかだと考えているからだ。
実際、多くの人が危険だと二の足を踏む場所に行きながらも、考えられる最も安全なルートを選び、必ず生きて帰ってくる人々のことを、私たちは冒険家と呼んでいる。
冒険家を突き動かすものは、もちろん未踏の地への強い好奇心だが、目的地に着き、帰還するためには、最大限の安全を確保する技術と、危険を冒さず撤退する勇気が求められる。一つでも欠けた場合には命を落とすか大怪我を負い、冒険家ではいられない。だから、冒険家は決して冒険をしない人たちだと言える。

組織運営やチームワークという命題の中を生き続けるしかない都市住民は、未知の場所にたった一人で赴くことは、文字通り冒険に他ならないと考える。だが多くの冒険家は危険な場所こそ単独行を選ぶ。なぜだろう。

植村直巳にとってチームを組むのはむしろ危険を冒す行為であった。
植村は犬ぞりで南極を単独横断しようとして、アメリカ基地へ食料支援などの協力を要請するが、断られる。単独での犬ぞりは危険性が高すぎるというのが理由の一つであった。植村は高校生に向けた講演会でその見解に反論する。
チームで登りますとどうしても他人を意識して登らないわけにはいかない。皆さんでもそうだと思いますけれども、他人と一緒にいるときには何かこう、いい服装を見につけたいとか、格好良く見せたいという気持ちを誰しもが抱くと思うんです。
 わたくしにもありました。他人よりも一歩でも高いところに登りたい。他人よりも上手く登るところをどうしても見せたくなる。互いにザイルを組んで登っておりましても、危険なところでも格好よく見せようと突き進んでしまいます。
 危険なのはそんな時であって、かえって一人の方が自分の本当の実力を考えて行動することができる。一人で行動するということは、誰も助けてくれません。かといって、わたくし自身、死んでもいいからやろうなどという気持ちもありません。自分でできる範囲で行動している限りは絶対に安全です。怖いのは、他人によって意志を左右されることです。そういうときにはどうしても自分の実力以上のものを考えます。これこそが危険なんじゃないかと思うのです。「十代のきみへ 植村直己」(81年福井県立藤島高校での講演会) 『Coyote No.33』掲載

植村は繰り返し高校生に語りかける。出発前は心が動揺する、「死んでもいいからやろう」という気持ちはまずないんだ、と。だが同時に、自分の目標は一身を賭けて掴むのだという。
一歩ずつしか進まない臆病者、だがその歩みを決して止めることのない者こそが、真の冒険家なのかもしれない。

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2008年11月12日

世界の書店10

ガーディアン紙による、「世界で最も魅力的な10軒の本屋」

1) Boekhandel Selexyz Dominicanen in Maastricht
オランダ、マーストリヒト市。
自転車置き場にされていたこともある築800年の教会。
Merkx+Girodによって、美しい本屋に生まれ変わった。

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「Pen」(11/15号)のクリエイティブアワードでも、ベストデザインに選出されている。


2) El Ateneo in Buenos Aires
ブエノスアイレスの古い劇場をそのまま書店に改装。舞台のカーテンも残して、舞台の上はカフェに。ボックスシートは読書用の小部屋に。

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3) Livraria Lello in Porto
1881年から営業している。複雑な装飾の木の壁と柱、ステンドグラスの天井、ステキな本の数々。

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4) Secret Headquarters comic bookstore in Los Angeles
カナダのSF作家、コーリー・ドクトロウが世界一と評したコミックストア。

5) Borders in Glasgow
1827年、王立銀行を改装してつくられたスコットランドの本屋。

6) Scarthin's in the Peak District
イングランド、ピークディストリクトにある、素朴な本屋

7) Posada in Brussels
ベルギー、ブリュッセルにあるアートブック専門店

8) El Péndulo in Mexico
メキシコシティーで暑さをしのぐのに最適な場所のひとつ。

9) Keibunsya in Kyoto
京都の恵文社。日本語が読めなくても知っておくべき、と。

10) Hatchards in London
女王陛下御用達。ディズレーリ、ワイルド、バイロン卿も顧客であった、貴族的なお店。
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2008年11月04日

最後の贅沢

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何よりも先ず、我々は無益な営みを役に立つことの惨めさから解放しなければならないだろう。悪しき習慣を断ち切るのではなく、それを活用し増強することにより快楽をさらに増大させ、さらには快楽が引き出されるべき領域をも拡大するため、情欲の流れを次々に分岐させ、延長し、そして接続してゆくべきなのである。長らく、我々には無益な営みの内に隠れた有用性を発見しようとする嘆かわしい習慣があった。言うまでもなく、真に断たれるべき悪習はこちらの方なのだ。我々は強迫神経症を患う用途の番人から無益な営みのすべてを守り抜かなければならないし、有用性の秩序から切り離された地平を発見し、そこで情欲の育成を心掛けなければならない。というのも「・・・・・・は何の役に立つのか」という問いは、自由を約束するどころか逆に自由の領域を狭め、意欲を低減させる脅迫だからである。(澤野雅樹著『不毛論』)

善悪もなく損得もない、無為の営みこそが偉大であり、有用性の拘束から自由になることで得られる世界は、有用性を獲得して与えられる栄誉よりも魅惑的だろう。私たちは「役に立つことのみじめさ」からはじめなければならない。

幼稚な欲望は用途の番人のしかめ面にすら笑いを催すことが出来るのであり、そのためには彼の顔を凝視し、皺だらけの頬から剃り残しの毛が一本垂れているのを発見しさえすればいいのだ。番人の頬から垂れる一本の毛は欠点ではなく、過剰であり、無用なものが現にそこにあるという意味において既に過剰なのである。瓶が倒れただけで爆笑する子供の情念さえあれば、何でも笑うことが出来るだろう。(同)

笑うために必要なのは、好奇心の避難所、欲望の私有地を保護し、閉じこもることではない。小さな保護区域であれば、いずれ有用性という言語がその世界の内部に取り込み、自動翻訳するだろう。無限に広がる有用性の支配には外部がなく、退路もない。

必要なものなどないのであり、必要性とは無縁なもの、余分なものを作り出すことが目指されなければならない。(同)

それでもなお有用性への違和を表明し続けること。

それらは「役に立つことの惨めさ」から身を反らすようにして「役に立たないこと」の世界に身を投じていく。有用性に対する執拗な反感。無駄なものや値打ちのないものに対する偏愛のようなもの。値打ちのないものについて考えることには値打ちがあるのか?考えることには何の値打ちもないけれど、何の値打ちもないことに賭けることには、相対的な値打ちの秩序から外れた特異な価値があるかもしれない。実学という名称が跋扈し、効率と有用性が何もかも覆い尽くそうとしている「現在」であるからこそ逆に鈍い光を放つことになる特異な価値が――。(同)

かれはトーストにたっぷりバターを塗った。バターは男の最後の贅沢だ。チャールズ・ブコウスキー著『ブコウスキーの3ダース―ホット・ウォーター・ミュージック』
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2008年11月02日

須賀敦子

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私の現実は、ひょっとすると、このウムブリアの一隅の、小さな庭で、八百年もまえに、あのやさしい歌をうたった人につよくつながっているのではないだろうか。私も、うたわなければならぬのではないだろうか。 「アッシジでのこと」『須賀敦子全集 第8巻』
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2008年07月25日

アウシュヴィッツ以降写真を撮ることは

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ソンタグはたしか『写真論』で、「記録するものは介入できない。介入するものは記録できない」と書いた。

報道写真が傍観者による事件の記録である(つまり撮ってる暇があれば助けろ)というジレンマはあまりに古典的で、もはや検討されるものですらなくなっていたが、携帯カメラが人の数だけ報道カメラマンを生む現在において、そのジレンマは新しい問いを生んでいるはずだ。

今橋映子の『フォト・リテラシー―報道写真と読む倫理』は、その携帯カメラ状況について問いを立てることはしないが、ヤラセやオリエンタリズムといった写真の成立期から語られてきた問題から、アウシュヴィッツ以降そもそも写真は成立するのかといったアドルノ的問題までを含めて、報道写真をめぐる批評の歴史として私たちに多様な写真の読み方を提示する。

著者はあくまで「私たちの」写真の読み方を問題にしており、撮る側つまり冒頭のソンタグの言葉にあるような「写真家」の倫理を問うものではない。

写真はいかなる演出を持ってしても、ただそこにある景色でしかない。美しい風景、悲惨な光景、悲劇の人々。写真が示すそれらの物語は、私たちが「そうであってほしいと願い、そう解釈する」ことで成立する。すなわち写真家と読み手の共犯の成果と呼ぶべきものである。
「貧しくとも黒く輝く瞳をもって遊ぶ先住民の子供たち」を、実は見たいと無意識に欲求するのは、読者である私たちかもしれないのである。

そのことに中平卓馬は常に苛立ち、厳しい批判を加えた。彼が植物図鑑写真家になろうとしたのは、意味や物語から写真を解き放つ運動であった。
例えば、アメリカ西部の広大な平原と眩い太陽の光とそこに生きる人々の荒々しくまた明るい顔が写されており、その土地の独特な自然と事物のあり様が印されてはいる。だが私はすぐに、あれこれの土地、あれこれの場所に出向いてゆくならば、ただその気になりさえするならば、そのように人々は生き、事物は存在しているのだろうと、一気にすべてを<了解>してしまうのだ。(中略)
 一言で言ってしまえば、これらの写真には一様に、旅行者だけがもつ甘えた感傷とそれと裏腹にあるつきなみな希釈された好奇心がべったりと貼りついているということなのである。『決闘写真論』

ロバート・フランクの撮るアメリカ郊外のだらしない風景、解釈を拒む人の表情、本書は触れていないがホンマタカシももちろん「決定的瞬間」「美しい写真」という問いに対する問題意識の高い写真家として記憶されるだろう。

私たちが報道写真に「美しさ」を求めるがゆえに何を失っているのか。クリスチャン・サルガドを批判するソンタグの洞察は重い。
ソンタグは、サルガドの写真によって、個人の、個別で無二であるはずの悲惨が抽象化され、世界中の悲惨が一まとめにされるとする。
そうして喚起された抽象的な同情は、具体的で個別の行動であるはずの政治と真剣に向き合うことを避けるのだと、『他者の苦痛へのまなざし』で議論は展開される。

なによりも「美しい」ことは、見るものが予め設定した美のフレームワークから逃れていないという意味で中平のいう安易な<了解>を生み、世界の悲惨が見る側の価値観と地続きであるという安心を与えことはあっても、まとわり付いて離れない違和感や価値観を破壊するような衝撃を生むことはない。

池澤夏樹の、それでもサルガドの写真は美しいからこそ記憶に残る「美しい棘」として評価することも可能だとする解説は、ソンタグの問題設定を踏み外している。
まず、思考の契機たる報道写真がなぜ美しくなければいけないのか問われなければならない。それにとどまらず、それを美しいと思う私たちの価値観は、報道写真が表象する悲惨を、すなわち写真の向こうにある美しいはずもない現実を、私たちが了解済みの美的構図に押し込めていることに意識的でなければならない。ソンタグが言おうとしたことはこういうことではなかったか。

断片的でしかない写真が、アウシュヴィッツとユダヤ人の消滅という理解を絶する悲劇を表象できるのか、というランズマンディディ=ユベルマンの論争は、著者が言うようにランズマン側に論理性を欠いたものかもしれないが、書き言葉に対する批評と同様の批評言語が写真において成立したという一つの成熟を示す出来事と言える。
言葉が伝達と共有の道具である以上、個別の悲劇を言葉で表象することにより、読み手が自分の言葉の体系に合わせて抽象化する作用から逃れることはできない。写真も固有名を撮っているようでありながら、見るものの認識の枠組みのなかで抽象化されることは避け難い。

アウシュヴィッツ以降詩を書くことが野蛮だとすれば、写真を撮ることも野蛮である。
しかしなおその野蛮さを引き受けるものを写真家と呼び、写真を見る側の倫理は、写真の野蛮さを知りつつも、写真の向こう側から聞こえる叫び声に耳を澄ますことに他ならない。
拷問された人間が叫び声を上げてしまうように、永続する傷は表現されてしかるべきものかもしれない。それゆえ、アウシュビッツ以降もはや詩を書くことはできない、と言ったのは間違いだったかもしれない。(アドルノ『否定弁証法』

著者は写真の読み解き方を「リテラシー」として示すわけではない。写真をめぐる諸問題を一つの倫理的な問いかけとして、答えを留保しながら写真の可能性を探る。
それは、リテラシーという用語がいくつかの、特にビジネスの領域で「基礎的な知識やスキル」の多寡を示しているのとは対照的である。
――せねばならない」と指し示す「道徳」と異なり、「倫理」とは、あり得べき複数の可能性の中で思考を継続させる誠実さそのものだからである。


    




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2008年06月28日

商業建築家丹下健三

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つまり、丹下さんは日本の国情に合わせて商業建築家として帰還した

磯崎新の、師匠丹下に対するこの発言を、藤森照信は自著『丹下健三』に引用しようとしたところ、出版前、丹下によって削除を命じられた。

戦後、国家そのものを体現しつづけた大建築家丹下健三が、大坂万博以降は国家のほうから距離を置かれ、失意のまま中東で仕事をした後、バブル前夜の日本に帰還した。帰還後の丹下の仕事ぶりは、磯崎の目には「余生」にしか映らなかった。そんな寂しさが生んだ発言であった。

磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペで著者の平松剛は、新都庁コンペにおける師弟の対決というより、むしろすれ違いを活写している。何より丹下健三の都庁にかける執念が、磯崎の視点から描かれる、バブル前夜の日本建築史における、貴重な証言集である。

コンペの説明会、丹下は車椅子で登場した自らの師である前川國男とも、弟子である磯崎新とも言葉を交わさない。
「ぶっちぎりで勝とう!」と連呼する勝負師の執念は、周囲も驚くほどであった。

本書によれば、もとより新都庁舎は鈴木俊一都知事と丹下健三のためのコンペであった。
鈴木の都知事選の後援会会長は丹下であった。鈴木は選挙公約に財政再建を掲げたが、当選の半年後から都庁移転の働きかけをはじめる。そこで鈴木が議会と都民の説得のために活用した私的諮問機関のメンバーにも丹下は名前を連ねている。
新宿副都心建設公社の初代理事長であった鈴木は新宿への都庁移転へ執着を隠さない。各種公共施設を都内にバラ撒いて、反対派を黙らせる。

コンペは公募ではなく指名制をとった。公募では時間的に無理だったと都は説明するが、鈴木が三選した場合の任期(90年)に間に合わせるために、そこから逆算してコンペの期間が決められたのが実情だ。
コンペ期間は短かったが、丹下事務所は一足先に準備をはじめていたことが証言で明らかになっている。
要するに、新都庁舎は鈴木俊一都知事のモニュメントなのである

コンペの指名基準は、100m以上の高層建築の実績が重視された(磯崎アトリエ以外の8社は実績があった)が、審査員10名のうち9名は実績がない。実績がないメンバーで審査をしなければならなかった。海外審査員も招待されなかった。

また、審査員のうち7名は、丹下が発案した「東京都設計候補者選定委員会」のメンバーであった。丹下が設立した委員のメンバーが、丹下を応募者とするコンペを審査するという形態をとった。

さらに、「審査員に対するプレッシャーが強過ぎて」という理由で、審査過程は非公開とすることが決められた。コンペ参加料は2000万円。

多くの問題含みのままコンペは実施され、下馬評どおり丹下が勝つ。

磯崎の低層案は予想通り敗れたものの、奇妙なことに驚くほど似たモチーフが、丹下の後の仕事に現れる。

磯崎は当時、表面的には縦割りでツリー状に見える組織図の奥に、「錯綜体(リゾーム)」として横に活発に動く仕事のイメージを、都庁の業務調査により獲得していた。
都側が超高層を求めるコンペで、唯一となった磯崎の低層案は、「基本的にものの考え方がアナーキー」(青木淳談)な磯崎の気質のみによるものではなく、業務の実態にハコを合わせる、モニュメントではなくワークプレイスとしての機能的な都庁を構想した結果であった。
戦後民主主義と自ら設計する空間(例えばピロティ)を無理にでも結び付けようとした丹下と、磯崎は既に違う世界の住人であり、対決どころかすれ違うしかない。

バブルの後に何が訪れるか、当時の誰も知らなかった。都庁は当時の日本を覆っていた気分の見事なモニュメントであり、磯崎からみて無残な商業建築家であったとしても、それも含めて丹下は最後まで国家と時代を一身に背負い続けたのだと思う。

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