2010年08月18日

無の判事

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『ブラッド・メリディアン』の判事が文学史に残るキャラクターであることは疑い得ないが、彼の哲学は『血と暴力の国』の殺し屋とも違う。判事は文字通り判事であり、殺し屋は殺し屋でしかない。殺し屋は誰かをある摂理に基づいて殺すが、判事はその摂理を裁く。検事も弁護人も殺し屋も、全てを裁き、彼らの論理を無に帰すことができる力を持つ。殺し屋の「悪」に対して、言わば「無」にそのまま人の形を与えたものがこの作品の判事であり、残虐さも教養も、彼の肉体も言葉も過剰であるほど、人はそこに吸い寄せられる。読者もろとも底知れぬ「無」へ一直線に追いやられ、判事はそれを横目にダンスを踊り続ける。

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われわれの関心事はダンスでありダンスはそれ自身のうちに手順と歴史と最終場面を持っているのだから踊り手が自分のなかにそれらを持っている必要はない。いずれにせよすべての歴史はそれぞれの歴史とは違うしそれぞれの歴史の総和でもない以上ここにいる人間の誰も自分がいる理由を理解することが最後までできない、というのもこの催しの本質がなんなのかすら知り得ないからだ。



儀式では血が流れることが不可欠だ。この要素を欠く儀式は儀式もどきにすぎない。偽物はすぐ見破られるものだよ。それは間違いない。子供時代を振り返ると家族がみんな出かけて一人で遊ぶしかないという寂しい思い出が誰にもあるだろう。対戦相手のいない一人だけの競技。その規則は自分の考えでどうにでも決められる。さあ眼をそらすんじゃない。これは謎めいた話じゃないんだ。ほかの人間はいざ知らずお前はこの寂しさや虚しさや絶望感と無縁ではないはずだ。われわれはそれと戦っているんじゃないのか。血こそは人間同士の絆を固める漆喰の練り具合を最適のものにする材料じゃないのか。判事は身を傾けてきた。死とはなんだと思うかな、君(マン)。前はいたが今はいない人間とはいったいどういう存在なんだ。これは考えても仕方のない謎なのかそれとも誰の管轄事項にも含まれる事柄なのか。死とはある力の作用ではないのか。その力は誰に向かって作用しているのか。さあ私を見ろ。



あの男の世界観はわかるだろう。顔や姿勢から読み取れるからな。だが人生はままならないというあの男の不満は本当の不満を隠している。実際にはほかの人間たちが自分の願うとおりにしてくれないという不満なんだ。今までもそうだったしこれからもそうだろうという。あの男はそうなのであって人生が困難に見舞われ意図していた形とは違ったものになったせいで歩くあばら屋にすぎなくなりおよそ人間の精神が住まうところではなくなってしまった。こういう男が、自分に害をなしているものなど存在しないと言うだろうか。自分の不幸にはどんな力も作用も原因も働いていないというだろうか。作用も請求者も疑えるというのはどんな異端者なんだ。あの男は自分の人生の破滅が強いられたものでないことを信じられるだろうか。そこに抵当権はついておらず債権者もいないことを。復讐の神と慈悲の神がともに穴倉で眠っていてわれわれの叫びが経理のためであれ帳簿の廃棄のためであれ同じ沈黙を生じさせるしかなくその沈黙だけが残るのだということを。彼は誰に話しているんだ。彼の姿がお前には見えるか。



人は自らの運命を探し求める、と判事は言った。意志がなければ無だ。自分の運命を知った者がそれとは反対の道を選んだとしても結局は同じ指定の時間に同じ精算をすることになる、というのも各自の運命はその者が住んでいる世界と同じだけの大きさを持っていてそのなかにすべての可能性を含んでいるからだ。多くの人間が破滅した砂漠が広大でそれを受け入れるには大きな心が必要だがしかし砂漠は結局のところ空っぽでもある。それは硬くて不毛だ。その本質は石なんだ。



だがともかく今の答えはこうだ。血みどろの戦争に自らのすべてを捧げた者、闘技場に立って恐怖を体験しその体験が自分の心の最も深いところに語りかけてくると知ったものだけが、踊ることができるんだ。


 



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2010年08月16日

問いかけ

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哲学とは、問いを提起し、この問いに答えることで、欠けていた空白部分が少しずつ埋まっていくという性質のものではない。問いとは、人間の生と人間の歴史の内側に属するものであり、ここで生まれ、ここで死ぬ。問いに解答が見つかると、問いそのものが姿を変えてしまうことも多い。いずれにせよ、空虚な欠落部分に到達するのは、経験と知の一つの過去である。哲学は文脈を所与のものとして受け取ることはない。哲学は問いの起源と意味を探るために、答えの意味、問い掛ける者の身分を探るために、文脈に立ち戻る。そしてここから、すべての知識への問いを活気づけている<問い掛け>へと至るのである。<問い掛け>は、問いとは異なるものなのである。
(メルロ・ポンティ「問い掛けと直観」、『見えるものと見えないもの』より)



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2010年08月10日

残躯

馬上少年過 世平白髪多 残躯天所許 不楽復如何

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やがて、大阪の陣が終って、死期を知った家康に後事を託される。その辺りから、政宗は、戦っていたのが実は時の流れという眼に見えぬ大敵であった事を、はっきり知ったのではあるまいか。私は、そんな事を思った。
暗い、込み入った、油断も隙もなかった生活を、彼は、「世は平かにして白髪多し」という簡明な文句で要約してみた。一体、要約はできたのだろうか。「残躯は天の許すところ」――彼が残躯という言葉を思い附いた時、この言葉は、彼の心魂に堪えたであろう。この詩の季を春としても差し支えあるまい。残躯は桜を見ていたかも知れない。「楽しまずんば復如何せん」
(「花見」小林秀雄)





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2010年08月09日

蜜蜂のささやき


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フランスのある田舎では昔、誰かが亡くなったとき、司祭が蜜蜂にそれをささやき、村に野に告げるよう言ったという。レヴィ=ストロース氏の訃報が伝えられ嘆き悲しんでいる世界のなかには、きっと人間だけでなく、蜜蜂たちに知らされた草花や動物たちもいるだろうと私は思う。涙の一粒一粒をとおして、彼が書いてきた言葉が浮かんでくる。この世のもっとも小さきものたち、いちばん弱きものたちのうちに、かけがいのない価値を見出した思想家は、100と1歳の誕生日をまたずして、静かに自然のなかで息をひきとった。

港千尋「レヴィ=ストロース氏を悼む」
(日本経済新聞、2009年11月6日朝刊)

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2010年07月27日

祈りについて

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祈りは、人間が万能ではないことを自分に言い聞かせる意味があると私は思っている。もう四〇年前になるが、統合失調症の長期予後を決める最大の因子は何か、と大先輩に聞かれたことがあって、私はあれこれ考えた末、「それは運ですと答えたことがある。私は、運を天に任せる意味で言ったのでもなく、運は自分で切り開けという意味で言ったのでもない。患者に思いがけない高収入が入ってくることがあるが、それが必ずしも患者を幸福にしなかったことが少なくない。しかし、逆に安定した療養生活をつくり出すこともある。(『臨床瑣談 続』中井久夫著)



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2010年07月24日

景観について

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現地で、ふと思った。ここは景観論者にとってのユートピアではないか、と。無秩序な広告やどぎつい看板がない。騒音がない。電信柱がない。高架の首都高速がない。空がよく見える。無駄なものがなく、歩道が広い。ゴミが落ちていない。放置自転車を見かけない。茶髪がいない。不良がいない。浮浪者がいない。汚い店がない。風俗を乱すものがない。たとえば、空港では、体制批判の書籍だけではなく、水着の写真が載っているような週刊誌のもち込みも禁止されている。清く正しく美しい。犯罪がなく、安全そうだ。そして建築と都市のデザインは明らかにコントロールされている。つまり、景観論者が嫌う諸要素が、ことごとく排除されているのだ。(『美しい都市・醜い都市』五十嵐太郎著)


日本橋の首都高速を醜い景観とする前に、その下にある日本橋を美的に称揚しようとする一つの政治に自覚的でなければならない。日本橋付近には巨大ビルが建てられており、首都高を取り払ったところで日本の原風景が出現するわけではない。原風景と言ったところで日本橋自体が明治末期の建築物であり、江戸時代に五街道の起点として栄えた木造太鼓橋の日本橋ではない。明治に、江戸の日本橋を建て替え、戦後その上に首都高を通した。江戸、明治、戦後という三つの時代で変化を遂げた日本橋が還るべき場所がなぜ江戸ではなく明治なのか、納得できる説明は乏しい。
日本人は江戸時代の橋を壊し、明治の先端技術で橋を架け、東京五輪前夜、その上に技術の粋を集めてダイナミックな首都高を通した。政治的に決められた過去の一時代に後戻りすることではなく、日本の近代史をそのままに記録した、歴史が重なりあう地層の見事な断面として日本橋の価値は讃えられ、保存されるべきである。



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2010年07月23日

哲学のはじまり

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『なぜ人を殺してはいけないのか?』(小泉義之・永井均著)
「第二章 きみは人を殺してもよい、だから私はきみを殺してはいけない―永井均」より

 もし中学の先生が14歳の中学生に「なぜ人を殺してはいけないのか」と問われたなら、少なくともこうは答えてほしいとは思う。「きみのその問いはまったく正当な問いであり、そういう問いをどこまでもまっすぐに、常識と妥協させずに、とことん理詰めで探求する、哲学という領域がある。それは学習すべき学問なのではなく、自分自身でするものなのだ。そして、それこそが本来の学問なのだ。だからほんとうは、他のあらゆる学問は、そういう問いと、それに基づくきみ自信の探求とに支えられて、はじめて意味を持つのだ。だから、きみがそういう疑問を持ったなら、きみははじめてほんとうの学問ができる端緒についたんだ。

(中略)

もし14歳の中学生に「なぜ人を殺してはいけないのか」と問われたなら、まずは、ここまで論じてきたような私の考えを、できるだけわかりやすく話したい。哲学的思考というものは、ぜひともそのことを知りたいと願っている<子ども>に向かって語るという形で語るのが、いちばんふさわしいからだ(私自身、ながいあいだ自分が子どものときに考えたこと、感じたことから学んできた)。その子が生きている実感から、私のこの議論のどこかにおかしいところがあるかどうかを尋ね、その子から学びたいと思う。もし問いが真正のの哲学的な問いなら、大人はほんとうは子どもに教えるべき答えなど持ってはいない。大人はそのことに気づき、自分がじつは子どもと同じであることを知るべきだし、同時に、そのことを子どもにはっきり教えるべきなのである。哲学的思考はただそのような仕方でのみ役立つ。
 私は社会防衛的な説教はしない、つまり、善なる嘘は語らない。いや、語れない。なぜなら、私自身もその子と同じ<子ども>にすぎないからだ。




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2010年07月21日

遠くへ

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If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.


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2010年07月20日

不可能の征服

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調査すること、夢みること、知らない海を航海すること、障害を克服すること――このすべてが未知なものを知り、未到の地に到達し、達成できないことを達成する瞬間への下準備になる。哲学者で評論家のヴァルター・ベンヤミン――彼自身、不治の蔵書道楽家であった――は蒐集に関するエッセーの中で、その輝かしい瞬間を「最後のスリル、獲得のスリル」と書いている。コロンブスは、別ないい方、すなわち不可能と思えるものの征服といういい方をしている。
 不可能の征服――わたしには、ミスタ・アトラスが長い間失われていた文書を所有するにいたったいきさつについてはこれ以上いい言葉は考えつかない。しかし、わたしはまた、発見の旅のすべてがこんなにしあわせな形で終わるわけではないことも知っている。証拠が必要なら、それはわたしの目の前の、史上もっとも有名な探検家の最後の、孤独な旅を記念しているその地図の上にある。(『古地図に魅せられた男』マイルズ・ハーベイ著)



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2010年04月05日

存在が花

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最近亡くなられた井筒俊彦先生が次のようなことを書いておられた。われわれは通常は自と他とか、人間とぞうとか、ともかく区別することを大切にしている。しかし、意識をずうっと深めてゆくと、それらの境界がだんだんと弱くなり融合してゆく。そして、一番底までゆけば「存在」としか呼びようのないような状態になる。そのような「存在」が、通常の世界には、花とか石とか、はっきりしたものとして顕現している。従って、われわれは「花が存在している」と言うが、ほんとうは「存在が花している」と言うべきである、というのである。(『おはなし おはなし』河合隼雄 著)



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2010年03月29日

自由と限界

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登山に自由を求めてきた。命は身体という束縛から逃れられない。だが、その身体が思い通りに動いたとき、そこには自由なる感覚が生み出される。少なくとも体がイメージどおりに動いたとき、そこには自由なる感覚が生み出される。少なくとも体がイメージどおり動くというのは気持ちがいい。そのうえで、小さなアクシデントに対応しながら日々が思いどおり過ぎ、自然環境のなかで大きな目的を達せられたらなおさらである。
なんでもかんでも自分で判断し、気ままに振る舞う。薪を切ってきて火をつけ、ケモノを自分で殺す。それが自由かといえば自由ではない。自分の力でできることなどしれている。だが、だが、私を規制するのは人間のお約束ごとではなく、自然環境である。それが何とも気分がいい。
銃がアンフェアであることは意識している。廃屋巡りに終始したことは恥ずかしい。人生全体を見れば、11日間などほんのひとときであり、それで自分が強くなったとか、サバイバルだとか言い張るのがばかげていることもわかっているつもりである。環境保護の観点から焚き火や狩猟に否定的な意見もあるだろう。
だが私の道徳律は揺るがない。自然の掟は人の掟よりはるかに厳しく正当である。私は現代装備を拒否することで、その自然の掟に少し近づけたと実感している。自分に負荷を課し、それゆえ自由に振る舞わせてもらうという私の理屈が、それほど的外れだとは思えないのだ。
体が自由に動いたとき、同時に私は自分の限界を感じている。自由と限界。対極をなすような二つの言葉のなかには、同じ要素が含まれている。イメージどおり体が動くゆえに限界にぶつかることができるし、限界の直前に行為者は自由の快楽を享受する。(『狩猟サバイバル』服部文祥著)



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2010年03月10日

持ちはこぶこと

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僕が一番言いたいことは、向こうの音楽を聴いていて、これはどこにもよそに運んでいかれないものだという気がしたわけです。つまり、僕たちがやっていた近代音楽というのは、なんとかしてよそに持ち運ぶということをまずかんがえているわけですね。記譜法とか、記号化していくといのはそういうことなわけだけれど、ジャワなんかの音楽は土地とか気候・風俗というか、生活すべてがそこになければ駄目なんで、それを外に出してしまうと駄目だろう、と思ったんですね。世界には様々の音楽があるんだけれど、大きく言えば手に持って運べる音楽と、どうしても運べない音楽があり、いま大事なのは、持ち運びが不可能な音楽ではないか、という気がする。(『武満徹対談選―仕事の夢 夢の仕事』所収、杉浦康平との対談)



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2010年03月04日

柔らかさについて

幕末維新期が日本人に愛される理由の一つに、指導者の多様さが挙げられるだろう。
誰が維新を成し遂げたのか、実のところ不明である。松陰も竜馬も西郷も大久保も勝海舟も、あるビジョンを持ち、ある時期に現れ、志半ば、ある時期に去る。
幕末維新期を通じてリーダーシップを発揮し続けたカリスマはいない。それぞれの指導者が異なる国家ビジョンを持ちながらも連携し、新政権を樹立したという不思議なプロセスの仔細は、多くの小説、テレビドラマや映画の題材となりながらも、一般的に理解されているとは言い難い。複数の指導者の存在のみならず、指導者達がその都度国家目標を変更し、連携の相手も変えながら維新が進む。
直線的な歴史理解では捉えきれない維新期を読み解くために、『明治維新 1858-1881』の二人の著者は「柔構造」という仮説を導入する。

さて、ここでなぜ武士たちが自らの地位の拠り所である封建制度や身分制度を破壊するような革命を強行したのかという疑問がわいてくる。その答えは、当初はそのような過激な変革は意図されておらず、むしろ旧制度の枠内で外圧に対峙しうる政体を再編することがめざされていたというものである。ゆえに彼らはエリートとしての使命と誇りに燃えてその任にあたったのであった。それが体制の否定にまで突き進んだのは、欧米思想による覚醒、幕府との政治闘争、中央集権の必要性、明治初年の旧勢力(公卿・藩主)の保守性などがあいまって、新政権の確立と維持のためには所期の目的を大きく逸脱する行動が不可欠となったからである。政治改革を意図してはじまった運動は、ついに政治革命にまでおよんだのであった。

一橋慶喜を将軍に推した薩摩藩が後に徳川軍を攻撃する。尊皇攘夷の急先鋒である長州藩が開国進取の旗手となる。征韓論で下野した板垣退助が議会設立運動を起こす。富国強兵が後に富国と強兵に分かれる。著者は一見すると優柔不断なこれらの事象を「場当たり的」と断じることなく、その「柔らかさ」の力に着目する。
開発経済学を専門とする著者の大野が、東アジアの戦後の開発プロセスと比較して浮上する明治維新期の特異性と、坂野の長年の近代政治史研究(『未完の明治維新』)を重ね合わせて得られた炯眼であろう。明治日本は誰かの明瞭な国家観に基づいて築かれたのではない。国家を混乱させ、破壊してはならないという共通の理解に基づきながら、指導者、国家目標、連携のあり方、全てのことを必要に応じて変えることができる柔らかい精神が、結果的には史上稀有な革命を成就させた。著者は薩摩藩の組織文化に、代表的な「柔らかさ」を見る。

その好例として、薩摩藩軍事奉行であった伊地知正治に注目する。彼は軍事面での有能なエキスパートであったが、政治改革構想においても、西郷、大久保らに引けをとらない。
島津久光や大久保の主張した「辞官納地」(徳川家が官位を辞し、800万石の領地も朝廷に返上する)にも真っ向から反対した。
西郷や大久保は、伊地知の意見を退け、慶喜に辞官納地を強要し、耐えかねた徳川軍はついに挙兵する。徳川軍を鳥羽、伏見で迎え撃った薩摩軍の総監軍は、ほかならぬ伊地知であった。
「問題に関する意見の相違が行動における分裂をもたらさなかったことは、幕末薩摩藩の強みであった。藩内の意見の多様性は、幕府や他藩の指導者との交流網を多様化する。
群雄が割拠する幕末政局を念頭に置けば、この多様性と凝縮性が、薩摩藩に他の追随を許さぬ力を与えたことは想像に難くない。」

また、薩摩藩士たちの筆まめさについてもページを割いて検証する。
1859〜68年の10年間に西郷から大久保に送られた手紙は114通。吉井友実からは29通。小松帯刀は97通。伊地知は32通を大久保に送っている。
大久保にしてみれば、61年以降8年間で267通を受け取っている。
一緒にいる間は手紙を書かない。京都、江戸、薩摩との間で書いても到着は1週間を超えることから、圧倒的な筆まめさが彼らの情報共有や連帯を支えていることがわかる。
藩内の多様な意見。独断専行とチームワークのバランス。
薩摩藩が育み、薩摩藩士を通じて雄藩に伝播した、柔らかく開かれた精神が、途中の幾多の難局を乗り越えた力であろう。
一人のリーダーから時代を眺めた方が、誰もがわかりやすく、小説やドラマでは「主人公が必要」という限界を超えることができない。
明治維新期に特定の「建国のカリスマ」を求めるのではなく、指導者たちの柔らかいネットワークとそれを支える幕藩文化に着目することで、本書を直線的な歴史理解から解放している。

 

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2010年03月02日

風景を変える

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「サイゾー」で、テレビと映画の題材の違いについて聞かれた是枝裕和監督。
僕は映画を撮っている時も、自己表現だとは考えていないんです。自分の中にイメージを映像化するよりも、世界に溢れる驚きだったり、豊かさだったり、違和感というものに触れた自分と世界の間で作品をつくろうと。役者が出てこないテレビドキュメンタリーのほうが、それより鮮明な形でできるということはありますが、「こういう題材だから、テレビでやろう」とは、事前に考えないようにしています。ただ、今回お話していて、「誰も知らない」を見た人の感想を思い出しました。「映画館を出て電車に乗って、自分が住んでいる街に着いた時に、夜遅かったのに、公園で遊んでいる子どもがいた。今までだったら目もくれなかった光景だけれど、なぜこんな時間に遊んでいるのか、家には誰が待っているのか、ということが気になって、翌日もその子どもたちを探してしまった」と。このお便りをもらって、「間違ってなかったな」と思いました。つまり、映画自体が強いメッセージ性をたたえるのではなく、映画に触れた人が日常に戻った時に、いつもの風景が違って見えることが重要。それが、僕が60年代のテレビから得た体験でした。



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2010年03月01日

ポジティブであること

「失敗するかもしれないが、チャレンジすることに価値がある」
「チャレンジしない人間が横槍をいれるべきではない」
「過去の栄光を引きずる人たちが、若手の挑戦を邪魔している」
「ここぞというときに、弱腰な人はずっとうまくいかない」
「多くの人が応援してくれているのに、それを裏切るわけにはいかない」
「やらない理由は、いくらでも言える」
「結局やってみなければわからないじゃないか。まず挑戦しよう。きっとうまくいく」

自己啓発やコーチング、成功者の書く文章で、こんなポジティブな言葉によく出会う。前向きで、果敢に困難に立ち向かう姿勢が正しいと、私たちは多くの人やメディアから教えられて生きている。人生は挑戦によって切り開かれる、ゆえに挑戦は美しいのだと。

昭和16年、日米開戦を進めようとする陸軍首脳たちの脳内は、およそこのようなポジティブシンキングに満ちていた。根拠のない楽観。果敢さへの手放しの尊敬。挑戦者の英雄視と、穏健派への中傷。

陸軍省軍務局と日米開戦』は陸軍軍務局の石井秋穂を通して開戦前数カ月の日本の意思決定のあり方をリアルに伝える。

ABCD包囲網に苦しむ日本、軍部内にも閉塞感が漂う。陸軍の主戦派は我慢がならない。
ジリ貧になって四等国になるより、戦うべきときに戦って国益を守る、それこそが大きい意味での聖慮ではありませんか

昭和天皇の意志を酌み和平に希望をつないでいた東條が徐々に開戦に傾くのをうけて、石井自身も開戦を受け入れようとする。
なにをするにも初めは冷たい目がある。だが結果にたいしてはいつも国民の信頼は篤かったではないか。満州事変、支那事変。国威を宣揚し国権を伸張したのは国民の喜びではなかったか。そうなのだ。国民はいつだってついてきてくれる。もし開戦となれば、国家総力戦体制はたちまちのうちにできあがるにちがいない。(中略)
トータル・クリークを妨害するのは誰か。文官閣僚の躊躇と消極さ。そして頭でっかちの知識人と称する輩、共産主義者、無気力な利己主義者、恐怖心に駆られた敗北主義者。そういう非国民の跋扈を許してはならない
※トータル・クリーク=総力戦

周囲の喜びと声援、無気力や恐怖心の克服。どこかの起業家の成功談と一言一句変わらぬ難局を打破するチャレンジへの恍惚が、軍部を支配していく。
東條と距離をとり、和平交渉に理解を示した軍務局長武藤章もついに開戦やむなしと腹を括る。
戦うべきときに戦わない民族は滅びる

日米交渉は決裂、開戦は決定的となる。
軍務局の大部屋の空気が変わった。迷いが消え、自信にあふれたことばが飛び交い、緊張の切れない時が支配した。

開戦直前の11月29日、重臣8人と閣僚5人が宮中で懇談会。
重臣とは昭和期の首相経験者、若槻、岡田、広田、近衛、阿部、林、平沼、米内。
東条や陸軍将校はこの期に及んで慎重論を説く重臣たちに苛立ちを隠せない。
「国を興すものは青年」「国を亡ぼすのは老年なり」
「明治からこのかた。戦争開始を重臣に諮ることはなかった」
「あの連中は要領よく生きぬいてきた人たちだ。本当の苦労というものを知らない。ぬくぬくと努力もせずに地位に就いた連中だ。身命を賭して国策にぶつかっていく度胸もない。それにいずれも首相失格者ではないか」

若手のチャレンジにベテランが異を唱える。いつの時代もそれは「老害」と呼ばれ、年寄りの保身、成功体験の陥穽として非難の対象でしかない。

日米開戦の是非は歴史家が検証するべき仕事に違いない。ただ困難な意思決定の場面では「やってみなければわからない」とポジティブな未来を描く声の大きい挑戦者がしばしば議論をリードするのだと、日本人は70年前から知っているはずだ。
だが日本陸軍と同様のポジティブ思考と世論の支持を背景にイラクを攻撃したブッシュ政権の末路が示す通り、安易な「チャレンジ精神」は、多くの場合犠牲者の数が恩恵を上回る。
膨大な犠牲、取り返しのつかない失敗を、私たちは見ようとはしない。
背後にある無限の失敗を捨象した成功譚が歴史をつくり、成功者が歴史を語る。挑戦こそが歴史となる。時代を超えて、挑戦して成功した一握りの幸運な人間が挑戦を説く。「チャレンジしなければ、なにもはじまらないよ」と。

ポジティブなチャレンジで失うもの。チャレンジしない勇気。臆病者が救った国家。傍観者の苦悩。弱腰な交渉の強さ。民衆の声に耳を傾けずに民衆を守る指導者。世界はポジティブでもネガティブでもない。ただ多様に存在しているだけだ。その強い諦観がポジティブ以上の力を与えることもある。

 






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2010年01月06日

迎春

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「そして私としては、限りなく平面に近づきながら踊ったのでした」 土方巽



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2009年11月14日

意味と外部について

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篠山紀信の写真に中平卓馬が評論で応じる『決闘写真論』は、写真が還るべき場所を示す試みである。
 私ではなく、世界が語り始めるその瞬間をいかに組織するか、それがたったひとつの写真家の仕事である。世界が、事物がみずから喋りはじめるとの水路を切り開いてやること、眼の見えない人たちの世界、口のきけない人たちの世界に眼をあたえ、口をあたえること、それが写真家の仕事である。
 リチャード・アヴェドンが、たくさんのものが写真に撮られたがっていると言ったのは、そのことではなかったのか。マルト・ロベールの『カフカ』に引用されたカフカの次の言葉をこのアヴェンドンの言葉と対比させる時、それらの言葉を発したおのおのの思惑を超えて、私にはことさらに興味深いものに思われる。
「お前が家から出かける必要はない。お前の机におとなしく座っていよ、そして耳を傾けよ、耳を傾けさえするな、ただ待て。待ちさえするな、黙ってひとりでいよ。世界はお前がその正体をあばくべく、お前に自分をさし出すだろう。世界は別のようにすることができない、恍惚となって、世界はお前の前でのたうちまわるだろう」(マルト・ロベール『カフカ』宮川淳訳)

こう語る中平卓馬が、篠山紀信を論じて本書は幕を閉じる。商業雑誌の表紙を飾る篠山の写真に、答えのない問いを発し続ける写真の極限を見出す。
篠山の写真に接する時、なぜか私は必ず時間ということを考える。すべてのものが他のものに対して等価であることを主張し、遠近法はなく、意味はない。

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注目しておきたいのは、写真であるという以外のあらゆる枠組を篠山紀信が突破してしまったということである。変な言い方だが、彼によってカメラに捉えられたもの、それが写真である。まず初めに写真の美学を構成するマチエールだの、テクスチャーだのが踏みしだかれる。次に臨場感だの雰囲気が捨てられる。情緒的なもの、感傷的なものが放り出される。もはや読者は心地よい自分の寝ぐらをどこを探しても、この写真の中にみつけることはできない。そして篠山はいまあらゆる人間的なものが介入しうる余地、ひとが最後の救いを求める事物の陰影、事物のもつ暗がりをも追放しようとしているかにみえる。実際事物の陰影こそわれわれのまたとない寝ぐらである。

篠山の継続は、「写真の原点に帰ろうとする意志」だと中平は言う。原点とは中平の言ってきた植物図鑑としての写真である。事物がただそこにある。何の意味もないし価値もない。意味や価値を人間が与えようとすることは権力であり支配である。写真はそこから遠く離れて、モノと人がじかに触れあう回路を開く。
芸術の尾ひれをひっつけた写真を、単純に写真に還そうとする意志である。この時、篠山紀信の想定する写真とはあくまでも「外部」とかかわる写真である。内省とか、「自己に回帰する」哲学的な態度などが、我々が希求する自由とはなんの関係もなく、すでに在るこの世界を受け入れ、それに服従する形而上学的な逃避となることを篠山は知っている。(中略)「内部」――主観とか主体とか呼ばれるもの――がないのではない。「内部」とは「外部」との闘い、緊張抜きに在るのではない。アンドレ・ゴルツが言う通り「自由は外部に、物の傍にあるのだ」。

「僕の写真が大芸術だといわれて、芸術院会員にしてくれるならすぐなるし、芸術賞くれるといえばすぐもらう。でも、そんなことはどっちでもいいんですよ」と言う篠山の強さに、中平は最後まで追いつかずに決闘は終わる。篠山を批判するものがいても、篠山に勝つものはそういない。その力をまざまざと見せ付けたのだから『決闘』という本書のタイトルは残酷なほど正しい。篠山論を書いてほどなく、中平は言葉と記憶を失う。意味や価値を超えて生きる困難を誰もが躊躇する。その一歩を超えた彼を誰も救うことはできないし、カメラがある以上感傷は不要である。

中平が「カメラになった男」だとすれば、篠山はもとより「カメラ以外であったことが一度もない男」である。篠山は「自分の肉体をでっかい眼球」にして、今日も元気に撮り続ける。

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2009年08月12日

アウトサイダーアートについて

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岩手の障害者施設に暮らす戸來貴規は、文字がつくる線の間を塗り潰すことで幾何学模様になった「日記」を1000枚以上、毎日綴っている。その美しい幾何学模様が実は文字であり、日記であると職員が気付き、作品として世に送り出されることとなる。

 芸術表現の一側面を「存在そのものの暗号化」と呼びうるとすれば、批評の役割はそれを解読することである。おそらく「インサイダー」の暗号はコンヴェンションの知識だけでも解読できる。しかし「アウトサイダー」の暗号は、彼ら自信と関係しなければ解読できないことが多い。なにも、個人史や個人病理に注目せよというわけではない。ただ彼らの傍らに寄り添うことが、作品への視線を深くする場合があるのだ。
 批評における関係性の比重という点においても、「イン」と「アウト」の区分は、やはり暫定的には擁護しておかざるを得ない。
 繰り返そう。戸來に寄り添った職員たちは、彼と「関係」することで、彼だけが秘めていた創造の「回路」を見出した。彼女たちのひとりは、次のように述べる。
「どこひとつとっても、全部に戸來さんのオリジナルな部分がちりばめられている。そして関われば関わるほど、いろんなことが発見できる。ほんとに何か見つけるたびに戸來さんをぎゅっとしたくなるような作品です」。(「関係することがアートである」斎藤環著「美術手帖」09年7月号)

美術教育であろうが障害の種類であろうが制作者の属性の「アウト」と「イン」の区別によるアウトサイダーアートの定義には、そのアートが鑑賞者にもたらす力を捕捉できない以上限界がある。鑑賞するものが創造者の回路に触れ、不可逆な変化を遂げる。その過程を経なければ作品に触れた者が意味のある言葉を生み出すことができない。アウト/インの境界をめぐる議論に終始する限り、その境界の前に踏みとどまり意味のある言論は成立しない。その境界を軽々と超えていく、創造者と鑑賞者が寄り添う精神の運動の中に発見されるべきアートが、アウトサイダーアートである。
粗暴で手の付けられなかった戸來が、彼の日記を発見し解読する職員との対話により徐々に心を開き、職員は「ぎゅっとしたくなる」感情を抱くに至る。「インサイダー」の鑑賞や解釈では生まれえない、存在を揺るがすような変化の過程にこそ、アウトサイダーアートのもたらす力を見出すことができる。


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2009年08月10日

夜明け前

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 世界がいちばん静かなのは、夜が明ける前の一瞬だ。そんな時間を楽しむために、そっとベッドを抜け出して、明かりもつけずに窓辺に座る。春のはじめ、世界はまだ霧の中。遠くの山は輪郭しか見えないけれど、芽吹きは確かに始まっていて、淡い光の中に微かな緑色を感じる。
「人は、いつだって怖がっている、ほんとうは」
 おだやかで落ち着いた日常はここちよい。けれどそれは、見えないところにアルあやういバランスの上にある。気がつかないふりをしているけれど、少しずつこわれながら、いつか、必ずこぼれ落ちてしまう気がするのだ。いま、手の中にあるグラスは、ゆらぎはじめた暮らしの平安をほんの少しのあいだつなぎ止めてくれるもの。キッチンにいつものように並んだ器は、気持のどこかを安心させてくれる。(『美しいこと』赤木明登著)



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2009年08月09日

ニヒリズムについて

かつての情報誌「ぴあ」や現在のインターネットの世界で、目的を持って収集されるはずの「情報」が、その目的を失い自律的な世界を形作っているように感じられ、目的よりもその情報の海を遊泳すること自体に快楽を感じるような価値の反転を引き起こしている。だがその価値の反転や自己目的的な快楽がニヒリズムなのではないと入不二基義は言う。

「目的地」に行き着くことではなく、道を歩くこと自体へと、価値の眼差しが「反転」すること。それは、ある意味では「生きる」こと自体を楽しむ姿勢であると言ってもいい。私たちの「生」は何かの「ため」の手段ではなく、今・ここの「生」を十分に味わうこと自体が、豊かに生きることなのだ・・・・・・というように。
 (中略)
しかし、その自己目的的な「快楽」をポジティヴに言い続けることもまた、どこか強迫神経症的であり、別の何かから逃げ続けているように見える。 つまり、そのような自律的で自己目的的な「豊かな生」は、「虚しさ」や「退屈」を忘却しようとすることと紙一重である。
 (中略)
私たちの「生」は、絶対的で最終的な「目的」や「意味」など持たない。そんなことは、ごく当たり前のことにすぎない。にもかかわらず、ことされそれを、今・ここの「輝き」や「快楽」を称揚するために持ち出すとすれば、それはむしろ、ただの当たり前の事実に耐えられず、「輝き」や「快楽」をことさら言い立てることによって、実は「目的」や「意味」の欠如を忘れたい、ということだろう。
間違ってはいけないと思う。情報の「海」の快楽に潜む「ニヒリズム」とは、私たちの「生」に絶対的で最終的な「目的」や「意味」がないということではない。その事実を知っているふりをしながら耐えきれず、価値の眼差しを「転倒」しつつ、それらを何とか楽しく忘れたいということこそが、ニヒリズムなのである。ニヒリズムとは、生の無意味さ自体のことではなく、無意味ということ自体を意味化してしまわざるをえない「病」のことなのである。(『足の裏に影はあるか? ないか?』入不二基義著)

真の虚無を生き続けられる人はいない。ニヒリズムは価値や目的の不在という真実を隠蔽し、無目的な快楽に救済を求める姿勢において、虚無を虚無のまま受け入れられない自己矛盾を内部に抱えている。そして人がニヒリズムに魅せられる理由は、虚無の直視ではなく虚無の隠蔽というウェットで不徹底な姿勢にこそあるのだろう。

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