『潜水服は蝶の夢を見る』
ELLEの編集長が脳梗塞で倒れ全身不随となる。唯一動かせる左目の瞬きだけで、自伝を書き綴る。リチャード・ドレイファスが「この生命誰のもの」で演じた全身麻痺の患者のように深刻にならず、意外とあっさりその状況から前向きに生きる決意をする。愛人と会い、モンテクリスト伯を読み、医者に難癖をつけ、ロックイン・シンドロームを生き抜く。ウルトラ・オレンジ&エマニュエル
「記憶と想像力」が彼を「潜水服」から解放したと言う。想像力は記憶の産物である。彼の華やかな人生の記憶と、あらゆるものに知的好奇心を編集者魂が生への執着を生み、四肢の不随によってかえって人間の存在への関心を呼び起こす。人は記憶によって生きるのだ、と。同じくローリングストーン誌の編集者ジョナサン・コットが、記憶の一部を失った後に「人間と記憶」について執念深くあらゆる角度から調べあげて『奪われた記憶―記憶と忘却への旅
『つぐない』
タイプライターの音が終始鳴るのは単なる効果音ではない。イシグロと並んで現代イギリスの「信頼できない語り手」の小説家と呼べるマキューアンの『贖罪』を映画化するには相応の覚悟が必要だろうが、後半にかけて描写に少しずつ非現実的なシーンが挿入されていくことで、見る者は徐々に「語り手」の存在に気付き始める。特にフランス北部に派兵された主人公の退却途中の描写は夢の中をさまようようでおよそリアリティがない。そこが事実から物語へ語り手の記憶が変容していくで岐路の表現であり、文芸作品の映画化にありがちな映像の貧困さとは違う。
少女のあどけない夢想で一人の男の人生を狂わせた罪を償うべく、主人公は大学進学を諦め看護師となる。看護した死期に近いフランス兵が、目の前の看護師と記憶とを行き来し、その区分が混濁しながら一つの物語に全人生が溶け込んでいくように死に逝く様を看取ったことが、記憶と物語への贖罪に向けて彼女を後押しする。誰もが失われた人生を負債のように背負って生きている。だが弁済はできない。失われた人生には贖罪と和解(Atonement)が必要であり、ありえたかもしれない人生との比較は賠償と謝罪しか生まない。


