考えてみると、僕には夢がない。あるのは予定だけだ。文章を書いたり写真を撮ったりして、それを本にするのが僕の仕事だが、こころの中には作りたい本がまだ2、300冊はあって、それを実現しやすい順番にこなしているだけの生活である。
時代錯誤で、ダサくて、儲からないのがわかっていても、どうしても書きたい・撮りたい作者がいて、これを出版しなければいけないと思う版元がいて、それを買わなきゃならないと思った都築が紹介する、世にも幸福な反KY書評集。
自宅で夕食会というとき、それが金持ちの家だったら「友達も連れていきたいんだけど」と言っても、用意がないからと迷惑がられるだろうが、貧乏人だったら「いいよ、みんなでわけよう」ということになる。なにかを差し出すことができるのは、いつでも、持たざる人たちだ
都築響一は、現代の宮本常一だ。「リアル」を求めてあらゆる場所を旅する。
日本だけではなく世界中、あるいは書籍の中にも偏在する「リアル」を求めて旅をする。
音楽評論家が「日本語は果たしてロックに合うのか」と議論する間にも街には流行歌が流れ、教育崩壊を識者が叫ぶ最中も、識者の知らないヤンキーのリアルが、「ティーンズロード」の誌面にはある。
それでどこがいいんですか、と言われると困ってしまうけれど、僕にはこれをパラパラめくって笑って小馬鹿にして終わり、で済ませてしまうことはとてもできない。クラス・メートに馬鹿にされ(深刻ないじめの手記も多い)、教師に嫌いぬかれ(セクハラや体罰の相談も毎号たくさんある)、家庭でも除け者にされた彼女たちのナイーブで脆い心情、似合わない強がりのほころびから滲み出るハッとするほど純粋な感覚、そしてクールでクレバーな処世術を体得する器用さに欠けた彼女たちが、やすらぎを見つけられるのはストリートにしかないという現実、そんないろいろなリアリティが、これほど濃密に詰まった雑誌を僕は<ティーンズロード>の他に多く知らない。
こうした雑誌が図書館に置かれることはあり得ないだろうし、彼女たちが図書館に来ることも同じくらい少ないだろう。でも、いつもそうであったように、いまも現実は本の中ではなくストリートの上にある。ストリートの上を走っている。<ティーンズロード>は僕に優越感ではなく、しばしば痛みをともなった反省と、そのあとでやってくる勇気とを与えてくれる、貴重な存在なのだ。
ビジネス誌に載る必読書を読んでスキルを磨く大人になんかならなくていい、オシャレ雑誌で紹介されるデザインや旅やマナーの本も読まなくていい。誰にも評価されなくても本当に読みたいものだけを読む、時代の空気など読まずに本を読む本バカの大人になろう。そう思える、勇気の出る一冊。
酔った勢いで友人と交わした約束に従い、冷蔵庫と一緒にアイルランドをヒッチハイクで一周するという、かなりバカげた記録である『Round Ireland with a Fridge』(Tony Hawks)
トニーの言うとおり、人にはだれでもいちどは「バカげた行為に走るチャンス」がやってくるのだろう。たぶん唐突に。歳をとるということは、「分別」を身につけるプロセスでもあるわけだが、何歳になっても目の前に突然あらわれる「素晴らしくバカげたアイデア」に飛び込める、無分別という名のエネルギーを持ち続けられたら、人生はずっと楽しくなる。
オトナたちは、いまの子供は昔にくらべて分別が足りないとか、我慢が足りないとか、いろんなことを言う。でも昔よりずっとおとなしい、あるいは「おとなしくさせられている」子供だって、ずいぶん多い。分別だけは一人前の、そういう若年寄たちを眺めるたびに、僕は哀しくなる。分別じゃなくて、無分別を教えておげられるオトナでいたいと、痛切に思う。
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