『かつてノルマンディーで』ニコラ・フィリベール
200年前の殺人事件を、師匠のルネ・アリオが30年前に映画化した。
映画では、ロケ地であるノルマンディーの農民たちに役者として登場してもらった。
その農村を、当時の助監督であったニコラ・フィリベールは、もう一度訪れる。
200年前の事件、30年前の撮影、現在。
それぞれの時間が交差する。
モデルとなった事件は、父親を守るために、神の啓示だとして母親と弟妹を殺した若い男の話。
精神鑑定という概念がない時代に、裁判では男が狂人か否かの論争が繰り広げられた。
一方で男は殺人に至る動機を極めて克明な手記に残し、自殺する。
その手記に現れる犯人の知性の高さ、言葉の美しさにミシェル・フーコーは注目し、『ピエール・リヴィエールの犯罪―狂気と理性』
フーコーはこの映画のロケにも来た。農民は「フーコーは知性をひけらかさず、気さくに話しかけてくれた」
映画に出演した農民たちのその後の人生を、フィリベールは丹念に聞き取ろうとする。
「他人を演じることで、自分が何ものかわかった。リセを留年したけれど、全く後悔していない」とする女性。
映画出演のあと、娘が統合失調症になり、苦難の人生を送ってきた夫婦。
主役の犯人を演じた男は、ハイチで牧師をしていた。その信仰の中には、完全な悪人などいないという、事件の犯人を演じることで得られた信念があった。
映画の中の犯人、映画の出演者、映画の監督と助監督、それぞれに家族があり、生と死がある。
200年前、30年前、現在を行き来することで、歴史がつながり、個別であり普遍でもある家族の問題が、重層的に現れる美しいフィルムに仕上がっている。
監督はこの映画を豚の誕生のシーンからはじめる。
新しい生命を祝福する歓喜の場面ではなく、今にも息絶えそうな豚の稚児を心臓マッサージし、叩き、なんとか生命を与える、農家にとってはいくつもの流れ作業の一つである。
後半では、生きた豚を捌くシーンを映す。
頭を長い金槌で強く叩き、痙攣している間に頚動脈にナイフを入れ、血を抜く。「うまくいった」と農民。
逆さに吊るして、腹から内臓を取り出したら、出荷可能な肉になる。
『世界屠畜紀行』
田舎、農民、動物、子供などをテーマとしながら、極めて知的な距離感を保つ監督であるという印象は、益々強まった。


