2007年08月08日

モダニズム再検討

『応挙、若冲、岸岱――金刀比羅宮 書院の美』@東京芸大美術館

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日プラ製の強化プラスチックらしきもので保護されて間近で見られる襖絵と、部屋そのものを再現して客は入れない展示と、展示のパターンが複数あるのは面白い。ただ応挙の虎はプラスチックで保護されて至近で観られたが、あの猫風な虎の佇まいを感じるためには襖を含めた部屋全体を、岸岱の蝶は逆にその筆致を近くでみたかった。

浅田 たしかに、橋本治美術史のいいところは、退屈だけでどもいいものだということを、はっきり言っていることだと思います。狩野派は、唐絵とやまと絵を織りまぜて、いわば和漢混交文のようなものを作った。それこそが日本画のマトリクスになりえた、と評価されているところや、さっき言ったように、円山応挙を一八世紀の近代日本画の祖として評価するところですね。
 それに対し、「奇想の系譜」だけを追いかけるのはやはり問題がある。だいたい、伊藤若冲が忘れられた画家だとかいうけれど、あえて京都人として言わせて貰えば一回も忘れられたことはないと思うし(笑)、現に夏目漱石の『草枕』にも出てくるくらいでしょう。曾我蕭白はたしかに忘れられていたかもしれないけれど、あれはやはりゲテモノと言われてもしようがない、その上であえて面白がるかどうかというようなものだと思うんですね。やはり、いかに退屈ではあっても、土佐派があり、狩野派があり、円山派があり、というまともな美術史をわかっていないと、日本美術史の面白さはわからないんじゃないか。(「新潮」2007年8月号での橋本治と浅田彰の対談「日本美術史を読み直す」より)



『ル・コルビュジェ展 建築とアート、その創造の軌跡』@森美術館

「キャバノン(休暇小屋)」の原寸再現。美しいがフランス人にはやはり小さいだろう。

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建築家の八束はじめは、最近のアラブ系の住民によるフランスでの暴動などは、ニュータウン、ひいてはコルビュジェらによる「疎外された現代都市の造営に」責任の一端ががあるとする見方を退ける。モダニズム−合理主義−機械的−直線的−反自然というステレオタイプに対するコルビュジェのモダニズムの再検討。(展覧会カタログ「ユルバニスト、ル・コルビュジェ」)

合理主義がつるんとした直線的な外見だけにあるというのはおかしな思いこみでしかないだろう。同様に、「毛深い」あるいは曲線形をしているというだけで合理主義がそこにないというのも皮相な――またしても「スタイル」としての――受け取り方といわざるを得ない(ここで「合理主義」を「詩」といい換えても同じである)。《サヴォア邸》からチャンディガールの建物へのあいだに共通したものがあるとしたら、《300万人の現代都市》とパンシャブ州の首都のあいだにも同じものがあってよいはずだ。合理主義と疎外はもともと論理的にも階梯が違っており、互いに結びつけられるものではない。
posted by ysms at 02:03| Comment(0) | TrackBack(1) | 05 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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