2011年06月17日

記憶なく欲望なく

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「記憶なく欲望なく no memory, no desire」という言葉は精神分析の世界できわめてよく口にされる言葉である。1979年に亡くなった、フロイト以後の精神分析において、おそらく屈指の革新的思索者である英国の精神分析家ウィルフレッド・ビオンが短いエッセイの中で使った言葉である。
このエッセイでビオンは、分析化は前のセッションのことを記憶していてはいけない、と言った。すべてを忘れていなければいけないのだ。そして、患者を理解しようとか変化させようとか治癒させようとかを欲望してもいけない、と言った。ただ、できごとの進展に向かっていかなければならないのだ。もちろん、前のセッションをまったく忘れ去ることはできない。目前の患者の苦しみに対して何とかしてやりたいという望みをまったくもたずにいることもできない。この「記憶なく欲望なく」という言葉はしたがって達成不可能なことを語っている。だがそれにもかかわらず、この言葉は精神分析の本質をついている。
過去を記憶すること、未来を欲望すること、そのいずれもが、精神分析の過程、精神分析というできごとの成り行きを妨害するのである。いまここで起きていること、そこで起きて生じる心的な事実、感情や不安にこそ、精神分析過程は姿を現す。精神分析は、患者の話を聞いてそれを理論に沿って解釈するようなことではない。まったくそれとは正反対に、二人のあいだでその場で起きるできごと、とりわけ情緒を含みこんだできごとを十分に体験することから始まるのである。そうしたとき、記憶や欲望は邪魔になる。その場のできごとに十分触れることを邪魔してしまう。

藤山直樹「「居残り」というできごと」
posted by ysms at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 01 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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