唐突にここで庭園と彫刻に活動の場をもったふたりの芸術家、イサム・ノグチと流政之を比較しておきたい。
ふたりとも日本的な完成を基礎としながらも、近代彫刻の新しい地平を切り開き、さらには庭園やランドスケープ・デザインにまでその活動領域を拡大していったという点で、多くの共通部分をもつ。うっかりするとどちらがどちらか分からなくなってしまうほどだ。
けれども「象徴主義的」という発想の尺度からこのふたりを比較するとき、イサム・ノグチにはより抽象性が強く、流政之は時折具体的な意味に接続する言葉を用いた、「象徴的」な作品を作るように思う。これはどのようなことを意味するのであろうか。
おそらくイサム・ノグチの抽象性の高さは彼の作品世界の自立性の高さ、いいかえれば近代性の高さを示すものではないか。それに対して流政之の「象徴性」への傾斜は、彼の作品が、過去の文化がもっていた歴史的世界観をある程度前提とした、折衷的正確をもつものであることを示しているように思われる。どちらが優れている、どちらが純粋であるといった問題ではないが、年長であったノグチの方がより近代に生き、流政之の方が過去との狭間を意識しているように思われる。
UP6月号 「近代建築論講義―5 象徴と自然 庭園の近代」鈴木博之著
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