税や社会保障による再配分の結果、日本の子どもの貧困率は悪化しているといった驚くべきデータの数々で日本の子ども政策の不備が検証され、日本という国の未来を考える上で重要な一冊に違いない。
ではなぜ日本は子どもへの支援を怠ってきたのか、前提となる子どもの貧困が政策として表面化することがほとんどなかったのか、という根本的な疑問は本書の読了後も解決されない。(それはもちろん著者の責任ではない)
著者は「全ての子どもに与えられるべきもの」というアンケート結果の国際比較に注目する。貧困とは、収入の多寡よりも、その社会で合意された「与えられるべきもの」が与えられない「剥奪状態」のことだと定義できるからだ。
例えば周囲の子どもが持っている「おもちゃ」について、日本は12.4%が「与えられるべき」と答えたのに対して、イギリスは84%。
つまり、それ以外の人々は、「経済状態などによっては与えられなくても仕方ない」と考えていることを意味する。
「新しい靴」は、日本が40.2%、イギリスでは94%。
「歯医者に行くこと」は、日本が86.1%、オーストラリアでは94.7%。(14%の日本人は、「子どもが歯医者に行けなくても仕方ない」と考えているということだ)
他国のデータが少ないので読者は判断しづらいが、先進国の中でも日本では「子どもに与えられるべきもの」の期待値が低いと著者は結論づけている。
なぜ、「子どもに与えられるべきもの」の社会的合意は、低い水準にあるのか。
「高齢者の不支持」という仮説がある。戦中戦後のモノがない時代を生き抜いてきた経験に比べれば、今の子どもの相対的貧困は生ぬるい・共感できない、という高齢者を中心とした意見がスコアの平均値を下げているという仮説だが、若い世代と年配世代はほぼ同じ値を示しているという。
また、子育てを巡る環境は日々変化しており、現在子育てをしていない人には「子どもに与えられるべきもの」のイメージができないのではないか、という仮説もあったが、子育て中と子育て中でない人のスコアも同じであったことから、却下される。
著者は日本人が持っている3つの「神話」にたどり着く。他の子供たちも似たり寄ったりであろうという錯覚を起こさせる「総中流神話」。家庭環境に関わらず、真面目に勉強すれば成功の機会は等しく与えられるという「機会の平等神話」、そして『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』に象徴される裕福でなくても温かい家族のもと子どもは幸せに育つという「貧しくても幸せな家庭神話」。
著者が本書で検証してきたのは、子ども期の生活の充足と、学歴、健康、就労、所得、結婚には密接な関係があるという動かし難い統計的事実だが、この神話によって日本人は子どもの貧困に鈍感になっているのではないか、と推測する。
子どもには選挙権がない。そして本書で大きな課題とされている母子家庭においても(日本は母子家庭の貧困率が特筆すべき高さである)、母親は子育てと仕事に追われ、選挙に行く暇もないだろう。子どもに限らず貧困という問題は救われるべき人が政治勢力たりえず、子どもは特にその傾向が強くなるという課題を抱えている。つまり政治家が子どもの貧困削減に取り組んでも、選挙の得票に結びつきにくい。
子どもの貧困が政治的なイシューとして取り上げられるには、メディアと世論が沸点に至るのを待つしかないのだろうか。
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