2009年01月15日

痛みについて

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文藝春秋 2月号の「ドキュメント昭和天皇の最期」で、佐野眞一は昭和天皇の身体が滅びゆく(同時に執念のように奇跡的な回復をみせる)昭和末期を起点として昭和を総括し、平成の難題の萌芽を読み取ろうとする。侍医の伊東貞三も、天皇の驚異的な生命力と人間離れした我慢強さに驚きを隠さない。
陛下は本当に痛いとか苦しいとかおっしゃらなかったですね。陛下のような患者さんは見たことがありません。普通の患者さんは、医者を変えろ、セカンドオピニオンを求めたい、というふうになるものですが、陛下の場合、首から下はすべて医者に任せているという感じでした


あるとき、伊東が天皇に「お痛みですか」と尋ねたことがあった。「痛いとはどういうことか」というのが、天皇の返事だった。

首から下を医者に任せているのではない。また我慢しているのでもない。昭和天皇にとって、自分の身体はもとより自分のものではないのだ。その信念は幼少期より培われてきたものに相違ない。偉大な明治天皇と病弱な大正天皇の2人の間を常に引き裂かれるように、激動の昭和期を元首として君臨し続けた天皇にとって、それは至極当然の身体観であったはずだ。

自分の身体は自分のものではなく、この国の歴史にこそむしろ帰属するものである、と。すなわち歴史に奉仕するための「玉体」であるとして、肉体的な「痛み」そのものを捨てて生きる宿命を負った昭和天皇の凄みを、ただ読者は感じる。

戦後、皇族がその身体を歴史に捧げ「痛み」を捨てる必要がなくなったこと、即ち人間になり身体を持ち痛みを感じることを多くの戦後の良心が歓迎した。その一人である中野重治が「五勺の酒」
で描いた行幸の昭和天皇を戦後の起点として、日本人の家族観も変わりそれに伴い皇室も変った。
だが歴史のために身体を捨てた男に、戦後身体を取り戻すことを強いることなどできるはずもない。昭和天皇の身体のみが遂に最期まで戦後に馴染むことなく玉体のままであったということになる。
ここで昭和の宿命を見ず、いたずらに雅子妃の「心の病」を難じてみせるのは佐野が冒頭で自らに禁じているはずの、昭和を「セピア色」に強調してみせる悪しき「郷愁」に過ぎない。


posted by ysms at 02:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 01 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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