2009年01月14日

憎悪について


戦時中になると、ユダヤ人迫害から物質的に得をする人びとの輪は広がった。ユダヤ人の没収不動産や商品が競売にかけられたからだ。(中略)港湾都市ハンブルグでは一九四一年はじめから戦争の終わりまで、ユダヤ人財産が競売にかけられない日は一日とてなかった。(中略)少なくとも10万人の市民が落札して、ユダヤ人迫害から利益を得た。もっとたくさんの人たちが競売で何が行われているかを知っていたし、それについて新聞で読んでいた

ナチスが巧みな宣伝工作によって国民を騙した/欺いた/洗脳したといった主張を本書は退け、「積極的に」ナチスに協力していくプロセスが丹念に立証されている。
もちろんナチスは注意深く世論を見極めながら政策を打ち出していくが、国民はナチスの政策がどのような犠牲者を生んでいるか知りつつも、積極的に支持することに変わりはなかった。

例えばナチスの意図を超えて(ナチスが自重を促したほど)多くの国民がゲシュタポへの積極的な密告者となった。密告されたものがどういう末路を辿るのか知りつつ、「密告は家族内でも友人や同僚のあいだでも、軍隊内でもおこなわれ、社会のどの単位も例外ではなかったようだ」。国民はナチスに騙されたのではない。普段から気に食わない相手を「あいつはユダヤ人支持者だ」と密告するような憎悪の連鎖がいとも簡単に家庭にまで浸透していた。またナチスは雇用を生み、アウトバーンを敷き、所得を増やした。自身の生活の向上のために、嫌いな隣人や、犯罪者、障害者などを排除したほうがいいとする思考が、当時のドイツ国民に定着した以上、最終的にユダヤ人の大量虐殺は、現状からの小さな一歩でしかなかったと思われる。

6000万人のドイツ人の積極的な協力の事実が明らかとなった今日、ナチスによるドイツ国民への集団催眠や大規模詐欺のような文脈で当時を語ることに意義は見出せない。ナチスは実際に、雇用を生み、アウトバーンを作り、ファミリーカーを約束し、オリンピックを開催した。大恐慌を乗り越え、数百万の人が雇用を獲得し、生活費が上がらないのに所得が増えた。ドイツ国民がユダヤ人問題の最終解決に向けて、少しずつだが一直線に心理的土壌を耕していったことは想像に難くない。

ヒトラーの意図、ナチスドイツの政治体制、国民世論の全てが相互に「積極的に」影響しあって悲劇を生んだ。ヒトラーやゲッベルスなど指導者の責任は問われなければならいが、犯人探しに陥ってしまえば、その他の支持者を免責することに他ならない。ゲッベルスのプロパガンダが「天才的」であったという文脈も、実態を反映したものとは言えず、ドイツ国民の免罪符として(天才だから騙されても仕方ない、ということ)機能してきた。指導者対国民という図式を超えて、戦争は総力戦であったことを本書は伝える。少数の狂気ではなく多数の「自分に被害がない/ちょっと得するなら何も言わない」という無関心が、戦争を生む。日本もそうであったし、ブッシュのイラク戦争も本質的には同じ構造を引きずっていた。人類が多少なりとも進歩したとすれば、このような研究が刊行されているということだけかもしれない。


当時、多くのドイツ国民は、ナチスの期待を上回るペースで積極的にゲシュタポに密告した。
なぜなら密告の多くは、「個人的思惑にもとづいて」なされた。つまり、個人的に憎い相手や競争相手を、ゲシュタポに密告するという形で、密告制度を利用した。例えば「ユダヤ人女性と関係を持った」、「ユダヤ人の店で買い物をしていた」など。

密告されたものがどういう末路を辿るのかも国民は知っていた。
密告は家族内でも友人や同僚のあいだでも、軍隊内でもおこなわれ、社会のどの単位も例外ではなかったようだ。

ヒトラーは個人的理由での密告の急増に悩み、内務大臣が気まぐれな密告を止めるよう命令を出したほどだ。

個人的動機の密告であっても、「ユダヤ人にたいする悪意と憎悪を促し、広めたのである」
ヴィクトール・クレンペラーは日記に、通りでユダヤ人に挨拶することさえ危険になり、無謀な行為となったことを記している。市民のだれもが、明らかに無辜の人であっても、完全な法律的免責をもって密告者が密告することを知っていた


安楽死も積極的に行われた。
看護婦についての最近の研究によると、彼女たちは、たんに「生きるに値しない生命」にたいする否定的態度をとっただけではなく、複雑な多くの理由で、時には納得しないままで、計画の実行に参加した

多くの普通の市民たち、それにカトリック、プロテスタントの宗教指導者が「安楽死」を原則的に非難しないで、ある状況下ではむしろ正当化されるとみなし、さらに新旧両教徒の指導者のなかには一九四五年以後もその考えを変えなかったという証拠がある

ゲーツ・アーリーは安楽死政策がのちのジェノサイドにつながる心理的土壌を整備したと説く。安楽死殺人の情報があえて漏洩されるよう意図されていたとする。
数多くのドイツの家族は抗議もせず、承認さえして身近な肉親の殺害を受け入れる態度をとった。そうすることによって彼らは来るべき大量殺戮政策の実行に向けた心理条件をつくり出したのだ。肉親が殺害されているというのに、それに抗議しないくらいなのだから、彼らがユダヤ人、ジプシー、ロシア人、ポーランド人の殺害に反対するはずがなかった

多くのドイツ人は、ナチが政治犯と烙印を押したものが弾圧されるのを明らかに支持した、そして、あらたに設けられた強制収容所に政治犯が送られるのを見て喜んだ。収容所が創設されるとさかんに宣伝され、収容所近辺の地元住民でさえ、総じて収容所に賛成した

ゲシュタポやナチ親衛隊だけではなく、征服警察とクリポ(刑事警察)はホロコーストの鍵となった。「市民の多数は通常、犯罪者、「社会の屑」とみなされる人たちを警察が排除するのを見て喜んだ」

歴史的な反ユダヤ主義に加えて、第一次大戦の敗戦による巨額賠償は急速に政界進出してきたユダヤ人が原因だとする以前の政治に対する国民の屈託(『ユダヤ人 最後の楽園―ワイマール共和国の光と影』)、その後ナチス期での経済的成長、密告制が増幅させた隣人への不信と憎悪、国家の安定のために多少の犠牲は仕方ないというプロパガンダ、ユダヤ人問題の最終解決に支持を得るための数多くの要素をナチスドイツが備えていたことは間違いなく、ドイツ国民は一歩ずつ、後戻りすることなくその道を歩んだ。

指導者と国民はいつでも共犯である。ユダヤ―イスラエルは同じ道を歩むのだろう。イスラエル政府は「国民」の強い支持を背景にガザのパレスチナ人を「最終解決」可能だと考えている(『ユダヤとイスラエルのあいだ―民族/国民のアポリア』)。小さな憎悪の波が共振して大きな波になり、一民族を消滅させることを正当化した悪夢から60年経過して、その歩みを引き戻す方法論を国際社会は獲得できていない。


posted by ysms at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 01 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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