2006年09月25日

アカシヤ

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夕ぐれどき、彼はいつものように独りで町を散歩しながら、その匂いを、ほとんど全身で吸った。時には、一握りのその花房を取って、一つ一つの小さな花を噛みしめながら、淡い蜜の喜びを味わった。

『アカシヤの大連』清岡卓行
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2006年09月24日

文学の危機

東浩紀が、柳美里や辻仁成は、ドストエフスキーやフォークナーの影響を受け批評を貪欲に吸収した大江健三郎や中上健次に比べて「方法論的緊張感」が欠けており、「蓮実重彦や柄谷行人がいなかったように振る舞」っていると批判したことを受けて、荒川洋治は97年の文芸時評で(『文芸時評という感想』に所収)、こう厳しく語る。
それにしても、ドストエフスキーでもフォークナーでも蓮実重彦でもなんでもいいがすでに示された方法論の「横」波「縦」波をかぶること、のみこむことを明らかにしあうことはそれほど重要なのか。影響の度合いが人にしられたりみずからもそれを嬉々としてみとめるような作家や、そういう文章を書く人を信用すべきではない。いまは、あの人この人の影響だと一目でわかる批評の文章ばかりではないか。それはものを書く個人としてみると「はずかしい」ことである。大江、中上両氏の言葉そのものも例外ではない。
 明治、大正の頃ならともかく日本の文学者が方法論的な「経・緯」を過剰に意識するのはどんなものか。それは自分のなかにおのずと流れているもの、それこを「血」のようなものを感じとれなくなっているしるしだと思う。誰それの影響を受けたなどということが小説や批評の文章、さらに発言に表あらわれるというのは、繰り返すが、とても「はずかしい」ことでなくてはならない。
 「方法論的緊張」をめぐらすのはいいがそれだけではまずしい。「方法論的緊張」が「フランス現代思想系文芸批評」の知的脅迫をうけて無邪気にすすめられた果てに、読者と文学が、読者と文学の歴史が離れてしまった。文学を語る言葉までがやわらかさや個性をなくし、溺れてしまった。

その半年後、相田みつをについて論じた小田嶋隆の文章を引き合いにして、文芸誌が、日本人が現実に使っている言葉の問題を置き去りにしたまま活動していると危機感を述べる。
全国の相田みつをファンにはきびしい見方かもしれないが、本を読まない人が増えたために、まっとうな本が陳腐な「詩」に席を譲らざるをえないのだとしたら、現代日本人の精神構造の問題であり、どうするのか考えなくてはならない。そんな詩はほうっておけ、というのが文学の世界に身を置く人の「常識」であろうが、小田嶋氏は敢えて相田みつをの「文学」を俎上に載せたのである。
 ばかばかしいと思うものに正面から向き合う、関わるというのは、とても勇気のいることだ。技術的にもむずかしいことである。だからフランス現代思想系文芸批評については熱く語っても、こういう問題について論評する人はまず文芸界には現れない。五つも六つもある文芸誌は素通りする。それが当然であるとでもいうように。だが「相田みつを現象」はこの先の日本の言語表現の命運に深く関わる。ほんとうならば、文芸誌や詩歌の雑誌が、この現象の意味を問うべきなのだ。ところが文芸誌は純文学中心の「高級な」話題に占拠され、そこによる書き手たちもいまの日本の言葉が、読者が、どうなっているかを感じとれない状態になっている。

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その後、都築響一がど真ん中の文芸誌である「新潮」に連載した『夜露死苦現代詩』は、荒川と危機感を共有する、文学のアウトサイダーからの厳しい問題提起と言える。
1984年に初版が出た『にんげんだもの』はすでに250万部を超え、作品集やその他関連書籍だけで総合実売数750万部以上、91年に刊行された日めくりカレンダーが500面部、携帯電話に毎朝みつをの作品がひとつずつ配信されるサービスの利用者が、すでに20万人以上!携帯電話で毎朝作品が配信される詩人なんて、ほかにいますか。読者数から見れば、現代日本でもっともポピュラーな詩人であり、書家であることは疑うべくもない。
 それでいて91年に亡くなってから現在まで、文学の分野からも書の分野からも、まともな評論がひとつとして出ていない。不思議だ、ほんとに。

便所と病室にいちばん似合うのがみつをの書だと、多くの人が知っている。立派な掛け軸になって茶室に収まるのではなく、糞尿や芳香剤や消毒液の匂いがしみついた場所に。そしてだれもがひとりになって自分と向き合わざるをえない場所に。そういう場所で輝く言葉を、もしくだらないとけなすのだったら、居酒屋の頑固オヤジやホスピスで闘病生活を送る末期患者を、なるほどと納得させられるだけのけなしかたをしなければならないだろう。それができないから、プロは相田みつをを誉めもしなければ、けなしもしない。ただ眼をつぶって、耳をそむけて、きょうも美術館の前を早足で通り過ぎるだけだ。


著者のメッセージは明快で痛切である。
著者が拾い上げるのは、
誰もが愛しているのに、プロだけが愛さないもの。書くほうも、読むほうも「文学」だなんて思いもしないまま、文学が本来果たすべき役割を、黙って引き受けているもの。そして採集、保存すべき人たちがその責務をまるで果たさないから(学者とはそういう職業ではなかったか)、いつのまにか消え去り、失われてしまうもの。
である。

本書の末尾。
ほんとうはすごく詩的な民族のはずなのに、いったいいつから、だれのせいで、僕らは生きものとしての詩を失ってしまったのか。このささやかな文章が僕らの手にリアルな言葉を取り戻す、小さなきっかけにでもなってくれたら、これ以上うれしいことはない。


 

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2006年09月09日

同根の思想

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小島毅著『近代日本の陽明学
』は、陽明学と水戸学という一見対照的な流派が、根本的には同じ思想で、日本人の心象の二つの様相でしかないと論じるユニークな日本精神史。
政治的には対極に位置する山川菊枝と三島由紀夫を、陽明学ではなく水戸学の後継者として交錯させるという締め括りにも驚くが、安岡正篤に頁を割いている点も興味深い。

安岡は戦前から陽明学の革新思想家として名を馳せ、終戦の詔勅(「堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ〜」という昭和天皇による終戦の言葉)に修正を加え「萬世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス」という張横渠の用語を加えたことで知られる。戦後は歴代首相の指南役となり「平成」の元号は安岡が考案したとも言われ、政財界に信奉者は多い。
残念なことに最近では細木数子(本書では氏名を明らかにしていないが)との入籍、相続問題で評判を落としている。
一般書店の東洋思想の書架を見ていただきたい。わたしの著作が置かれていないのはまだしも、名だたる研究者たちの真摯な労作を押しのけて、安岡正篤の講演・語録のたぐいが山積みされている。(中略)
 しかし、他方では、彼を軽侮する風潮もある。大学アカデミズムの陽明学研究において、彼の業績に言及することはまったくといってよいほどない。思想家としても、北一輝や大川に比べて格段に低い評価がなされている。政財界の有力者に取り入り、彼らに寄生して名声を得ただけの人物、安岡自身が冗談で口にした「高級乞食」という表現が、批判的評価を下す者によって愛用される。

安岡は現場主義の活動家であり、自己の信念を熱く説く弁舌の技にも長じていたようである。武術に長けていて話がうまいという点で、彼は王陽明の後継者であった。(中略)
 修行者としての武士。それは机の上で書物を読んで観念的に道徳哲学をもてあそぶのとは、まったく異なる事柄であった。行為のなかで修養を積んでいく姿は、まさしく王陽明の「事上磨錬」である。安岡陽明学の特徴はそこにあった。為政者として経営者として、現代社会の諸現実にいかに立ち向かうか。具体的な政策や経営技術ではなく、そのための精神を観念論的に説き、そうした政治・経営の現場において実践していくことの重要性を説教することで、安岡は政界・財界に支持者を獲得していった(その点で、前記女性占星術師は、安岡の手法を完璧に会得・継承している)。

安岡の説教になんら新味はない。だが、彼が中国古典の豊富な知識――机の上で彼が得たもの――を駆使して語る、わかりやすい人生哲学は、学術的・「煩瑣(scholastikの蟹江の訳語)的」な思索を得意とはしない政治家や経営者の心をつかんだ。カントが人間性についてどう言っているとか、マルクスの説によると生産関係は今後どうなるかということではなく、「東洋の先哲」たちのありがたい教説と彼らの生き方を安岡に教えてもらうことで、この人たちは安心したのかもしれない。安岡が敗戦後も影響力を保持した理由を、現時点でわたしはそう考えている。


詩や書ににおける「相田みつを」の存在と遠くない課題を抱えている。いずれもアカデミックな世界から冷笑あるいは無視されながらも、多くの人に少なくない影響を与え続けている。その言葉が、人を動かし、人を救ってきた。その意味を、専門家は捉えられない。
安岡やあいだのオリジナリティの低さを笑い、その哲学を無視するのは容易だが、その姿勢は思想のアクチュアリティ、言うなれば言葉が生き、生きた言葉が人を動かすという真実からの逃避でしかない。




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2006年09月01日

わかりにくいもの

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<「わからない」ことからはじめる>と書いてから、
中野重治の文章の明るい、乾いたわかりにくさが気にかかる。『斎藤茂吉ノート』で中野は、何もないはずの日向の地面に影がさしているような、明るい海面に突然穴が開いているような、茂吉の歌の中にある、明るさのなかに奇妙に現れる一点の漆黒というべきものを丁寧に言葉にしようとしている。

<茂吉はわかりにくい詩人ではない。むしろわかりい詩人とさえいえるであろう。それにしても茂吉にはわかりにくいところがどこかにある。わかりそうでいてわかりきらぬものが彼のなかにあり、それが彼の短歌にもあり散文にもあると私は考えるがどうであろうか。
 茂吉にあるわかりにくいものと私のいうのは彼の全体をおおうものではない。このわかりにくいものは彼の中に部分としてあるのにすぎない。しかしこの部分は、それ自身は部分としてありながらやはり全体にかかわっていることを否めない。そういう意味で、このわかりにくいものは明晰な茂吉に一つの翳りを与えているともいえる。翳りという言葉はニュアンスという言葉に改めてもいい。とにかくそこに一つの口ごもりのようなものがあり、その奥にはまだ何かがあるのではないかという気持が茂吉を相手とするもののなかに絶えず生じてくるように思うのである。
 わかりにくいということ、わかりにくいものがあるということは一つの弱点として認められなければならぬ。しかも茂吉の場合、わかりにくいというこの弱点がそのままの姿で一つの魅力となっていることも見逃せぬであろう。いつでもそれが魅力になっているわけではないが、魅力となつていることがしばしばであることはとにかく事実として認めなければならぬ。つまりそれは、その奥にまだ何かがあるのではという気になるというそのことに関している。その何かが表現を求めてい、しかしすらすらと表現されきつていないというところからくる一つの魅力である。>

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