2010年03月10日

持ちはこぶこと

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僕が一番言いたいことは、向こうの音楽を聴いていて、これはどこにもよそに運んでいかれないものだという気がしたわけです。つまり、僕たちがやっていた近代音楽というのは、なんとかしてよそに持ち運ぶということをまずかんがえているわけですね。記譜法とか、記号化していくといのはそういうことなわけだけれど、ジャワなんかの音楽は土地とか気候・風俗というか、生活すべてがそこになければ駄目なんで、それを外に出してしまうと駄目だろう、と思ったんですね。世界には様々の音楽があるんだけれど、大きく言えば手に持って運べる音楽と、どうしても運べない音楽があり、いま大事なのは、持ち運びが不可能な音楽ではないか、という気がする。(『武満徹対談選―仕事の夢 夢の仕事』所収、杉浦康平との対談)



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2010年03月04日

柔らかさについて

幕末維新期が日本人に愛される理由の一つに、指導者の多様さが挙げられるだろう。
誰が維新を成し遂げたのか、実のところ不明である。松陰も竜馬も西郷も大久保も勝海舟も、あるビジョンを持ち、ある時期に現れ、志半ば、ある時期に去る。
幕末維新期を通じてリーダーシップを発揮し続けたカリスマはいない。それぞれの指導者が異なる国家ビジョンを持ちながらも連携し、新政権を樹立したという不思議なプロセスの仔細は、多くの小説、テレビドラマや映画の題材となりながらも、一般的に理解されているとは言い難い。複数の指導者の存在のみならず、指導者達がその都度国家目標を変更し、連携の相手も変えながら維新が進む。
直線的な歴史理解では捉えきれない維新期を読み解くために、『明治維新 1858-1881』の二人の著者は「柔構造」という仮説を導入する。

さて、ここでなぜ武士たちが自らの地位の拠り所である封建制度や身分制度を破壊するような革命を強行したのかという疑問がわいてくる。その答えは、当初はそのような過激な変革は意図されておらず、むしろ旧制度の枠内で外圧に対峙しうる政体を再編することがめざされていたというものである。ゆえに彼らはエリートとしての使命と誇りに燃えてその任にあたったのであった。それが体制の否定にまで突き進んだのは、欧米思想による覚醒、幕府との政治闘争、中央集権の必要性、明治初年の旧勢力(公卿・藩主)の保守性などがあいまって、新政権の確立と維持のためには所期の目的を大きく逸脱する行動が不可欠となったからである。政治改革を意図してはじまった運動は、ついに政治革命にまでおよんだのであった。

一橋慶喜を将軍に推した薩摩藩が後に徳川軍を攻撃する。尊皇攘夷の急先鋒である長州藩が開国進取の旗手となる。征韓論で下野した板垣退助が議会設立運動を起こす。富国強兵が後に富国と強兵に分かれる。著者は一見すると優柔不断なこれらの事象を「場当たり的」と断じることなく、その「柔らかさ」の力に着目する。
開発経済学を専門とする著者の大野が、東アジアの戦後の開発プロセスと比較して浮上する明治維新期の特異性と、坂野の長年の近代政治史研究(『未完の明治維新』)を重ね合わせて得られた炯眼であろう。明治日本は誰かの明瞭な国家観に基づいて築かれたのではない。国家を混乱させ、破壊してはならないという共通の理解に基づきながら、指導者、国家目標、連携のあり方、全てのことを必要に応じて変えることができる柔らかい精神が、結果的には史上稀有な革命を成就させた。著者は薩摩藩の組織文化に、代表的な「柔らかさ」を見る。

その好例として、薩摩藩軍事奉行であった伊地知正治に注目する。彼は軍事面での有能なエキスパートであったが、政治改革構想においても、西郷、大久保らに引けをとらない。
島津久光や大久保の主張した「辞官納地」(徳川家が官位を辞し、800万石の領地も朝廷に返上する)にも真っ向から反対した。
西郷や大久保は、伊地知の意見を退け、慶喜に辞官納地を強要し、耐えかねた徳川軍はついに挙兵する。徳川軍を鳥羽、伏見で迎え撃った薩摩軍の総監軍は、ほかならぬ伊地知であった。
「問題に関する意見の相違が行動における分裂をもたらさなかったことは、幕末薩摩藩の強みであった。藩内の意見の多様性は、幕府や他藩の指導者との交流網を多様化する。
群雄が割拠する幕末政局を念頭に置けば、この多様性と凝縮性が、薩摩藩に他の追随を許さぬ力を与えたことは想像に難くない。」

また、薩摩藩士たちの筆まめさについてもページを割いて検証する。
1859〜68年の10年間に西郷から大久保に送られた手紙は114通。吉井友実からは29通。小松帯刀は97通。伊地知は32通を大久保に送っている。
大久保にしてみれば、61年以降8年間で267通を受け取っている。
一緒にいる間は手紙を書かない。京都、江戸、薩摩との間で書いても到着は1週間を超えることから、圧倒的な筆まめさが彼らの情報共有や連帯を支えていることがわかる。
藩内の多様な意見。独断専行とチームワークのバランス。
薩摩藩が育み、薩摩藩士を通じて雄藩に伝播した、柔らかく開かれた精神が、途中の幾多の難局を乗り越えた力であろう。
一人のリーダーから時代を眺めた方が、誰もがわかりやすく、小説やドラマでは「主人公が必要」という限界を超えることができない。
明治維新期に特定の「建国のカリスマ」を求めるのではなく、指導者たちの柔らかいネットワークとそれを支える幕藩文化に着目することで、本書を直線的な歴史理解から解放している。

 

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2010年03月02日

風景を変える

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「サイゾー」で、テレビと映画の題材の違いについて聞かれた是枝裕和監督。
僕は映画を撮っている時も、自己表現だとは考えていないんです。自分の中にイメージを映像化するよりも、世界に溢れる驚きだったり、豊かさだったり、違和感というものに触れた自分と世界の間で作品をつくろうと。役者が出てこないテレビドキュメンタリーのほうが、それより鮮明な形でできるということはありますが、「こういう題材だから、テレビでやろう」とは、事前に考えないようにしています。ただ、今回お話していて、「誰も知らない」を見た人の感想を思い出しました。「映画館を出て電車に乗って、自分が住んでいる街に着いた時に、夜遅かったのに、公園で遊んでいる子どもがいた。今までだったら目もくれなかった光景だけれど、なぜこんな時間に遊んでいるのか、家には誰が待っているのか、ということが気になって、翌日もその子どもたちを探してしまった」と。このお便りをもらって、「間違ってなかったな」と思いました。つまり、映画自体が強いメッセージ性をたたえるのではなく、映画に触れた人が日常に戻った時に、いつもの風景が違って見えることが重要。それが、僕が60年代のテレビから得た体験でした。



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2010年03月01日

ポジティブであること

「失敗するかもしれないが、チャレンジすることに価値がある」
「チャレンジしない人間が横槍をいれるべきではない」
「過去の栄光を引きずる人たちが、若手の挑戦を邪魔している」
「ここぞというときに、弱腰な人はずっとうまくいかない」
「多くの人が応援してくれているのに、それを裏切るわけにはいかない」
「やらない理由は、いくらでも言える」
「結局やってみなければわからないじゃないか。まず挑戦しよう。きっとうまくいく」

自己啓発やコーチング、成功者の書く文章で、こんなポジティブな言葉によく出会う。前向きで、果敢に困難に立ち向かう姿勢が正しいと、私たちは多くの人やメディアから教えられて生きている。人生は挑戦によって切り開かれる、ゆえに挑戦は美しいのだと。

昭和16年、日米開戦を進めようとする陸軍首脳たちの脳内は、およそこのようなポジティブシンキングに満ちていた。根拠のない楽観。果敢さへの手放しの尊敬。挑戦者の英雄視と、穏健派への中傷。

陸軍省軍務局と日米開戦』は陸軍軍務局の石井秋穂を通して開戦前数カ月の日本の意思決定のあり方をリアルに伝える。

ABCD包囲網に苦しむ日本、軍部内にも閉塞感が漂う。陸軍の主戦派は我慢がならない。
ジリ貧になって四等国になるより、戦うべきときに戦って国益を守る、それこそが大きい意味での聖慮ではありませんか

昭和天皇の意志を酌み和平に希望をつないでいた東條が徐々に開戦に傾くのをうけて、石井自身も開戦を受け入れようとする。
なにをするにも初めは冷たい目がある。だが結果にたいしてはいつも国民の信頼は篤かったではないか。満州事変、支那事変。国威を宣揚し国権を伸張したのは国民の喜びではなかったか。そうなのだ。国民はいつだってついてきてくれる。もし開戦となれば、国家総力戦体制はたちまちのうちにできあがるにちがいない。(中略)
トータル・クリークを妨害するのは誰か。文官閣僚の躊躇と消極さ。そして頭でっかちの知識人と称する輩、共産主義者、無気力な利己主義者、恐怖心に駆られた敗北主義者。そういう非国民の跋扈を許してはならない
※トータル・クリーク=総力戦

周囲の喜びと声援、無気力や恐怖心の克服。どこかの起業家の成功談と一言一句変わらぬ難局を打破するチャレンジへの恍惚が、軍部を支配していく。
東條と距離をとり、和平交渉に理解を示した軍務局長武藤章もついに開戦やむなしと腹を括る。
戦うべきときに戦わない民族は滅びる

日米交渉は決裂、開戦は決定的となる。
軍務局の大部屋の空気が変わった。迷いが消え、自信にあふれたことばが飛び交い、緊張の切れない時が支配した。

開戦直前の11月29日、重臣8人と閣僚5人が宮中で懇談会。
重臣とは昭和期の首相経験者、若槻、岡田、広田、近衛、阿部、林、平沼、米内。
東条や陸軍将校はこの期に及んで慎重論を説く重臣たちに苛立ちを隠せない。
「国を興すものは青年」「国を亡ぼすのは老年なり」
「明治からこのかた。戦争開始を重臣に諮ることはなかった」
「あの連中は要領よく生きぬいてきた人たちだ。本当の苦労というものを知らない。ぬくぬくと努力もせずに地位に就いた連中だ。身命を賭して国策にぶつかっていく度胸もない。それにいずれも首相失格者ではないか」

若手のチャレンジにベテランが異を唱える。いつの時代もそれは「老害」と呼ばれ、年寄りの保身、成功体験の陥穽として非難の対象でしかない。

日米開戦の是非は歴史家が検証するべき仕事に違いない。ただ困難な意思決定の場面では「やってみなければわからない」とポジティブな未来を描く声の大きい挑戦者がしばしば議論をリードするのだと、日本人は70年前から知っているはずだ。
だが日本陸軍と同様のポジティブ思考と世論の支持を背景にイラクを攻撃したブッシュ政権の末路が示す通り、安易な「チャレンジ精神」は、多くの場合犠牲者の数が恩恵を上回る。
膨大な犠牲、取り返しのつかない失敗を、私たちは見ようとはしない。
背後にある無限の失敗を捨象した成功譚が歴史をつくり、成功者が歴史を語る。挑戦こそが歴史となる。時代を超えて、挑戦して成功した一握りの幸運な人間が挑戦を説く。「チャレンジしなければ、なにもはじまらないよ」と。

ポジティブなチャレンジで失うもの。チャレンジしない勇気。臆病者が救った国家。傍観者の苦悩。弱腰な交渉の強さ。民衆の声に耳を傾けずに民衆を守る指導者。世界はポジティブでもネガティブでもない。ただ多様に存在しているだけだ。その強い諦観がポジティブ以上の力を与えることもある。

 






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2010年01月06日

迎春

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「そして私としては、限りなく平面に近づきながら踊ったのでした」 土方巽



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2009年11月14日

意味と外部について

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篠山紀信の写真に中平卓馬が評論で応じる『決闘写真論』は、写真が還るべき場所を示す試みである。
 私ではなく、世界が語り始めるその瞬間をいかに組織するか、それがたったひとつの写真家の仕事である。世界が、事物がみずから喋りはじめるとの水路を切り開いてやること、眼の見えない人たちの世界、口のきけない人たちの世界に眼をあたえ、口をあたえること、それが写真家の仕事である。
 リチャード・アヴェドンが、たくさんのものが写真に撮られたがっていると言ったのは、そのことではなかったのか。マルト・ロベールの『カフカ』に引用されたカフカの次の言葉をこのアヴェンドンの言葉と対比させる時、それらの言葉を発したおのおのの思惑を超えて、私にはことさらに興味深いものに思われる。
「お前が家から出かける必要はない。お前の机におとなしく座っていよ、そして耳を傾けよ、耳を傾けさえするな、ただ待て。待ちさえするな、黙ってひとりでいよ。世界はお前がその正体をあばくべく、お前に自分をさし出すだろう。世界は別のようにすることができない、恍惚となって、世界はお前の前でのたうちまわるだろう」(マルト・ロベール『カフカ』宮川淳訳)

こう語る中平卓馬が、篠山紀信を論じて本書は幕を閉じる。商業雑誌の表紙を飾る篠山の写真に、答えのない問いを発し続ける写真の極限を見出す。
篠山の写真に接する時、なぜか私は必ず時間ということを考える。すべてのものが他のものに対して等価であることを主張し、遠近法はなく、意味はない。

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注目しておきたいのは、写真であるという以外のあらゆる枠組を篠山紀信が突破してしまったということである。変な言い方だが、彼によってカメラに捉えられたもの、それが写真である。まず初めに写真の美学を構成するマチエールだの、テクスチャーだのが踏みしだかれる。次に臨場感だの雰囲気が捨てられる。情緒的なもの、感傷的なものが放り出される。もはや読者は心地よい自分の寝ぐらをどこを探しても、この写真の中にみつけることはできない。そして篠山はいまあらゆる人間的なものが介入しうる余地、ひとが最後の救いを求める事物の陰影、事物のもつ暗がりをも追放しようとしているかにみえる。実際事物の陰影こそわれわれのまたとない寝ぐらである。

篠山の継続は、「写真の原点に帰ろうとする意志」だと中平は言う。原点とは中平の言ってきた植物図鑑としての写真である。事物がただそこにある。何の意味もないし価値もない。意味や価値を人間が与えようとすることは権力であり支配である。写真はそこから遠く離れて、モノと人がじかに触れあう回路を開く。
芸術の尾ひれをひっつけた写真を、単純に写真に還そうとする意志である。この時、篠山紀信の想定する写真とはあくまでも「外部」とかかわる写真である。内省とか、「自己に回帰する」哲学的な態度などが、我々が希求する自由とはなんの関係もなく、すでに在るこの世界を受け入れ、それに服従する形而上学的な逃避となることを篠山は知っている。(中略)「内部」――主観とか主体とか呼ばれるもの――がないのではない。「内部」とは「外部」との闘い、緊張抜きに在るのではない。アンドレ・ゴルツが言う通り「自由は外部に、物の傍にあるのだ」。

「僕の写真が大芸術だといわれて、芸術院会員にしてくれるならすぐなるし、芸術賞くれるといえばすぐもらう。でも、そんあことはどっちでもいいんですよ」と言う篠山の強さに、中平は最後まで追いつかずに決闘は終わる。篠山を批判するものがいても、篠山に勝つものはそういない。その力をまざざと見せ付けたのだから『決闘』という本書のタイトルは残酷なほど正しい。篠山論を書いてほどなく、中平は言葉と記憶を失う。意味や価値を超えて生きる困難を誰もが躊躇する。その一歩を超えた彼を誰も救うことはできないし、カメラがある以上感傷は不要である。

中平が「カメラになった男」だとすれば、篠山はもとより「カメラ以外であったことが一度もない男」である。篠山は「自分の肉体をでっかい眼球」にして、今日も元気に撮り続ける。

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2009年08月12日

アウトサイダーアートについて

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岩手の障害者施設に暮らす戸來貴規は、文字がつくる線の間を塗り潰すことで幾何学模様になった「日記」を1000枚以上、毎日綴っている。その美しい幾何学模様が実は文字であり、日記であると職員が気付き、作品として世に送り出されることとなる。

 芸術表現の一側面を「存在そのものの暗号化」と呼びうるとすれば、批評の役割はそれを解読することである。おそらく「インサイダー」の暗号はコンヴェンションの知識だけでも解読できる。しかし「アウトサイダー」の暗号は、彼ら自信と関係しなければ解読できないことが多い。なにも、個人史や個人病理に注目せよというわけではない。ただ彼らの傍らに寄り添うことが、作品への視線を深くする場合があるのだ。
 批評における関係性の比重という点においても、「イン」と「アウト」の区分は、やはり暫定的には擁護しておかざるを得ない。
 繰り返そう。戸來に寄り添った職員たちは、彼と「関係」することで、彼だけが秘めていた創造の「回路」を見出した。彼女たちのひとりは、次のように述べる。
「どこひとつとっても、全部に戸來さんのオリジナルな部分がちりばめられている。そして関われば関わるほど、いろんなことが発見できる。ほんとに何か見つけるたびに戸來さんをぎゅっとしたくなるような作品です」。(「関係することがアートである」斎藤環著「美術手帖」09年7月号)

美術教育であろうが障害の種類であろうが制作者の属性の「アウト」と「イン」の区別によるアウトサイダーアートの定義には、そのアートが鑑賞者にもたらす力を捕捉できない以上限界がある。鑑賞するものが創造者の回路に触れ、不可逆な変化を遂げる。その過程を経なければ作品に触れた者が意味のある言葉を生み出すことができない。アウト/インの境界をめぐる議論に終始する限り、その境界の前に踏みとどまり意味のある言論は成立しない。その境界を軽々と超えていく、創造者と鑑賞者が寄り添う精神の運動の中に発見されるべきアートが、アウトサイダーアートである。
粗暴で手の付けられなかった戸來が、彼の日記を発見し解読する職員との対話により徐々に心を開き、職員は「ぎゅっとしたくなる」感情を抱くに至る。「インサイダー」の鑑賞や解釈では生まれえない、存在を揺るがすような変化の過程にこそ、アウトサイダーアートのもたらす力を見出すことができる。


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2009年08月10日

夜明け前

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 世界がいちばん静かなのは、夜が明ける前の一瞬だ。そんな時間を楽しむために、そっとベッドを抜け出して、明かりもつけずに窓辺に座る。春のはじめ、世界はまだ霧の中。遠くの山は輪郭しか見えないけれど、芽吹きは確かに始まっていて、淡い光の中に微かな緑色を感じる。
「人は、いつだって怖がっている、ほんとうは」
 おだやかで落ち着いた日常はここちよい。けれどそれは、見えないところにアルあやういバランスの上にある。気がつかないふりをしているけれど、少しずつこわれながら、いつか、必ずこぼれ落ちてしまう気がするのだ。いま、手の中にあるグラスは、ゆらぎはじめた暮らしの平安をほんの少しのあいだつなぎ止めてくれるもの。キッチンにいつものように並んだ器は、気持のどこかを安心させてくれる。(『美しいこと』赤木明登著)



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2009年08月09日

ニヒリズムについて

かつての情報誌「ぴあ」や現在のインターネットの世界で、目的を持って収集されるはずの「情報」が、その目的を失い自律的な世界を形作っているように感じられ、目的よりもその情報の海を遊泳すること自体に快楽を感じるような価値の反転を引き起こしている。だがその価値の反転や自己目的的な快楽がニヒリズムなのではないと入不二基義は言う。

「目的地」に行き着くことではなく、道を歩くこと自体へと、価値の眼差しが「反転」すること。それは、ある意味では「生きる」こと自体を楽しむ姿勢であると言ってもいい。私たちの「生」は何かの「ため」の手段ではなく、今・ここの「生」を十分に味わうこと自体が、豊かに生きることなのだ・・・・・・というように。
 (中略)
しかし、その自己目的的な「快楽」をポジティヴに言い続けることもまた、どこか強迫神経症的であり、別の何かから逃げ続けているように見える。 つまり、そのような自律的で自己目的的な「豊かな生」は、「虚しさ」や「退屈」を忘却しようとすることと紙一重である。
 (中略)
私たちの「生」は、絶対的で最終的な「目的」や「意味」など持たない。そんなことは、ごく当たり前のことにすぎない。にもかかわらず、ことされそれを、今・ここの「輝き」や「快楽」を称揚するために持ち出すとすれば、それはむしろ、ただの当たり前の事実に耐えられず、「輝き」や「快楽」をことさら言い立てることによって、実は「目的」や「意味」の欠如を忘れたい、ということだろう。
間違ってはいけないと思う。情報の「海」の快楽に潜む「ニヒリズム」とは、私たちの「生」に絶対的で最終的な「目的」や「意味」がないということではない。その事実を知っているふりをしながら耐えきれず、価値の眼差しを「転倒」しつつ、それらを何とか楽しく忘れたいということこそが、ニヒリズムなのである。ニヒリズムとは、生の無意味さ自体のことではなく、無意味ということ自体を意味化してしまわざるをえない「病」のことなのである。(『足の裏に影はあるか? ないか?』入不二基義著)

真の虚無を生き続けられる人はいない。ニヒリズムは価値や目的の不在という真実を隠蔽し、無目的な快楽に救済を求める姿勢において、虚無を虚無のまま受け入れられない自己矛盾を内部に抱えている。そして人がニヒリズムに魅せられる理由は、虚無の直視ではなく虚無の隠蔽というウェットで不徹底な姿勢にこそあるのだろう。

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2009年07月09日

長所で過つ

政治が江藤淳の体を大きく損なった、と「新潮」編集人坂本忠雄はいう。
小林さんが心配していたわけよ、彼のことをね。それで、どうなんですかと言ったら、僕は名言だと思うんだけど、人間はね――「江藤」と言わないんだよ――人間というのは長所で過つ、短所では絶対に過たない、と言った。

健康なスポーツマンが早死にし、数字に強い人間が投資詐欺にあい、タクシー運転手が事故を起こし、科学者がニューエイジに走る。慢心といった言葉では片付かず、長所という自他の認識の中に潜む陥穽にこそ、目を向けなければならない。



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