2009年06月26日

中景について

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彫刻家の舟越保武が、耳の不自由な松本竣介の後ろから声をかけたところ、「何だ?」といって戻ってきたというエピソードがある。
耳の不自由な画家がなにか霊気にふれたかのごろくふりむくその姿は、わたしにとって恐ろしく神秘的である。そしてまた、そのふりむく眼差しには棘はなく、心を通わせてきた友情にひろい空間をいだいていたというようにもうけとれる。童顔のかおだちのせいばかりではない。舟越氏は澄んだ声で返事したと書いているが、これはむしろ画家竣介の人間の全体からうけるひとつの印象といってもいいだろう。他者に対して自己の存在をきわめて明確なものとして印象づけるのは、自分のなかに他人には想像もできぬような不安の感情がうずまいているからにちがいない。音の世界から遮断されたものは自己の内部の不安におびえ、また、うなり続けているであろう外界の音を予感していては、生命すらあやぶまれることもしばしばあったろうと思う。実際に耳をふさいで街を歩いてみればよい。(「暗い歩道に立つ―松本竣介」『早世の天才画家』酒井忠康著)


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著者は日本近代絵画史の「近代」とは、遠近法における中景の不足を埋めることであり、中景が近代そのものであったとする。そして、竣介は中景に「自覚的に身を寄せて」いた画家であった。

絶望的な遁走といえば、大げさにきこえるが、並木路のある歩道石のがっしりとした塀は、まるで牢獄の外壁のような印象をあたえる。画家の心象をものがたっているらしい帽子をかぶった黒い人物に声でもかけてみたい衝動にかられ、わたしはかつて竣介のヒューマニズムの影であろうと形容したことがある。(中略)都市の風景と慮工面することによって、固有の不在圏を画布に塗り込めた松本竣介でありながら、それはついに断念の思いにもつながっているという逆接をもこの《並木道》はものがたっている。声をかけてみたいという衝動は、けっして画布を告発の戦場にはしなかった画家の、本当の理由を訊いてみたいとの思いにかられるからであるが、おそらく添景の人物は無言のままに通りすぎてゆき、川沿いの一隅で都市の廃墟を予感し、橋の上で日の暮れるのをまっているのにちがいない。(同上)

画家の抵抗は、良心や創作を踏みにじる時代を声高に告発するものではなく、内なる絶対不可侵の領土を守り続けることであった。領土を無傷のまま死守することと、感覚を研ぎ澄ませて外界の音を聞くことを、稀有な回路で支えたのが、モディリアニに学んだ松本竣介の稀有な黒い線であった。





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2009年06月22日

神話と音楽

子どものころから作曲家や指揮者になりたいと夢みていたレヴィ・ストロースは、戦中、亡命先のニューヨークでフランスの大作曲家ダリユス・ミヨーと会う。
「自分は作曲家になるという自覚を、いつからもたれましたか」と私は尋ねました。ミヨーはこう説明してくれました。彼が子どもだったころのことです。ベッドのなかで少しずつ眠りに落ちようとしているとき、ある音楽が聞こえてきて、彼はそれに耳を傾けました。しかしそれは、いままでに聞いたこともないような音楽でした。ミヨーはのちになって、それがすでに自分で作った音楽だったことに気付いた、と言うのです。


レヴィ・ストロースは音楽と神話を、言語という親から生まれ、異なる方向を歩み、再び会うことのない姉妹に例えており、ならば彼は音楽家を自らの兄弟と見なしていたとしても不思議ではない。
神話と音楽の類似した構造の研究は、音楽家を目指した彼を魅了したテーマの一つであったに違いない。例えばバッハのフーガとそこでのストレッタは、善と悪の繰り広げる遁走の物語と二つの原理の統合によって争いを解決するという、多くの神話に見られる構造を無意識に拝借している。ソナタ、シンフォニー、ロンドなど、様々な音楽形式は、同じ構造を持つ神話の存在を示すことができる。文学の嫡子は神話から小説、小説からセリー音楽へと継承されている。


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2009年06月09日

恐怖について

グランドキャニオンの絶壁の前に安全用の柵が設置されていないという指摘から、小沢一郎の『日本改造計画
』は書き起こされていたと記憶している。
事故とその責任追求を恐れ規制だらけの日本社会で、自由と自己責任の文化を育てようと主張する小沢に、当時の日本人は新しい何かを感じていたはずだ。その後小泉政権に引き継がれたその国家観の末路は誰にもわからないし、小泉も小沢ももういない。

「Atlantic」誌08年11月号で、記者のジェフリー・ゴールドバーグは、アメリカの空港での搭乗検査をあざ笑うかのように、危険なモノを機内に持ち込むことに成功する。アルカイダのTシャツ、イスラム聖戦旗、ヒズボラのビデオテープ、アラファトの空気人形、ポケットナイフ、ベイルートとペシャワールのホテルのマッチ、防塵マスク、ロープ、ライター、爪切り、8オンス(220ml)の歯磨き粉、外国の水、カッター。これらをこっそり機内に持ち込もうとして、何十ものセキュリティゲートを通るが、4回だけもう再検査され、爪切りとシェービングクリームの缶を指摘されただけであった。ある空港では、胴体に装着した80オンス(2.2L)のビールを入れられるBeerbelly(ビールッ腹)という器具はセキュリティーを通過したが、手荷物の8オンスの水の瓶は没収された。
ゴールドバーグは、TSA(アメリカ運輸保安局)の職員によるセキュリティチェックは、厳しいチェックの体制を見せることで乗客を安心させる、劇場的な効果しかないと結論づける。
実験したようにテロリストを空港で摘発することはできない。それならば、貴重な税金は、テロリストが空港に来る前の諜報活動に費やされるべきではないか、と。

米国は自由で自己責任、リスクを取る文化がありセキュリティも軽い、日本はその逆でリスク回避的国民性あるという単純な図式で国民性や政治を捕捉しようとする議論には無理が多い。
イラク攻撃に見られる米国のリスクテイクは、多くの攻撃と同様、リスクを過大評価する不安に背中を押された結果だと知ったならば(1%ドクトリン)、リスクを把握できず恐怖をコントロールできないという意味で日米に大差はない。
アメリカの手荷物検査も、ロンドンの監視カメラも、一度不安に陥った人間が微小なリスクを過剰に回避する心理から抜け出せないというプロスペクト理論の好例である。文明社会の不安は見えない敵を生み、安全よりも安心のために多くのエネルギーを消耗するが、安全が強化されるほど安心からは遠ざかるという逆説を生きなければならないのは洋の東西を問わない。

「グラン・トリノ」で、隣に越してきたモン族の内気な少年にセルフメイドな男のあり方を教える頑固老人イーストウッドは、同じ骨法であっても『初秋』で依頼人の息子を一人前のマッチョな男に鍛えようとする私立探偵スペンサーのような「強きアメリカの父親」ではない。
スペンサーは闘い方を教えたが、イーストウッドは攻撃と復讐の連鎖を断ち切るために自ら差し出すもの、つまり犠牲のありかたを少年に教えることになる。

内なる恐怖の根源と対峙しなければ、恐怖は取り除けない。
先制攻撃と、セキュリティ強化による防御は、恐怖そのものを何ら減じないという点で同工異曲でしかなく、攻撃と防御は表裏から手を組んで恐怖を隠蔽し、不安を増大させる装置である。
劇中、銃を向けて不良を敷地から追い出し、不良のアジトに乗り込んで相手を殴ったイーストウッドが、攻撃と防御を超えた地点から難題を解決するに至るまでには幾多の犠牲を伴った。
犠牲を差し出すことを拒んだ私たちは、犠牲の向こうにイーストウッドが見たユートピアとは正反対の、過防備、過監視、過攻撃社会を生きていかなければならない。

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2009年06月08日

象徴主義について

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唐突にここで庭園と彫刻に活動の場をもったふたりの芸術家、イサム・ノグチと流政之を比較しておきたい。
ふたりとも日本的な完成を基礎としながらも、近代彫刻の新しい地平を切り開き、さらには庭園やランドスケープ・デザインにまでその活動領域を拡大していったという点で、多くの共通部分をもつ。うっかりするとどちらがどちらか分からなくなってしまうほどだ。
けれども「象徴主義的」という発想の尺度からこのふたりを比較するとき、イサム・ノグチにはより抽象性が強く、流政之は時折具体的な意味に接続する言葉を用いた、「象徴的」な作品を作るように思う。これはどのようなことを意味するのであろうか。
おそらくイサム・ノグチの抽象性の高さは彼の作品世界の自立性の高さ、いいかえれば近代性の高さを示すものではないか。それに対して流政之の「象徴性」への傾斜は、彼の作品が、過去の文化がもっていた歴史的世界観をある程度前提とした、折衷的正確をもつものであることを示しているように思われる。どちらが優れている、どちらが純粋であるといった問題ではないが、年長であったノグチの方がより近代に生き、流政之の方が過去との狭間を意識しているように思われる。

UP6月号 「近代建築論講義―5 象徴と自然 庭園の近代」鈴木博之著
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2009年03月27日

子どもの貧困

『子どもの貧困』で、著者は先進諸国に比べて日本の子どもの貧困率が高いこと、政府の子どもへの支援が手薄であることを多くのデータを用いて立証している。
税や社会保障による再配分の結果、日本の子どもの貧困率は悪化しているといった驚くべきデータの数々で日本の子ども政策の不備が検証され、日本という国の未来を考える上で重要な一冊に違いない。
ではなぜ日本は子どもへの支援を怠ってきたのか、前提となる子どもの貧困が政策として表面化することがほとんどなかったのか、という根本的な疑問は本書の読了後も解決されない。(それはもちろん著者の責任ではない)

著者は「全ての子どもに与えられるべきもの」というアンケート結果の国際比較に注目する。貧困とは、収入の多寡よりも、その社会で合意された「与えられるべきもの」が与えられない「剥奪状態」のことだと定義できるからだ。

例えば周囲の子どもが持っている「おもちゃ」について、日本は12.4%が「与えられるべき」と答えたのに対して、イギリスは84%。
つまり、それ以外の人々は、「経済状態などによっては与えられなくても仕方ない」と考えていることを意味する。
「新しい靴」は、日本が40.2%、イギリスでは94%。
「歯医者に行くこと」は、日本が86.1%、オーストラリアでは94.7%。(14%の日本人は、「子どもが歯医者に行けなくても仕方ない」と考えているということだ)
他国のデータが少ないので読者は判断しづらいが、先進国の中でも日本では「子どもに与えられるべきもの」の期待値が低いと著者は結論づけている。

なぜ、「子どもに与えられるべきもの」の社会的合意は、低い水準にあるのか。
「高齢者の不支持」という仮説がある。戦中戦後のモノがない時代を生き抜いてきた経験に比べれば、今の子どもの相対的貧困は生ぬるい・共感できない、という高齢者を中心とした意見がスコアの平均値を下げているという仮説だが、若い世代と年配世代はほぼ同じ値を示しているという。
また、子育てを巡る環境は日々変化しており、現在子育てをしていない人には「子どもに与えられるべきもの」のイメージができないのではないか、という仮説もあったが、子育て中と子育て中でない人のスコアも同じであったことから、却下される。
著者は日本人が持っている3つの「神話」にたどり着く。他の子供たちも似たり寄ったりであろうという錯覚を起こさせる「総中流神話」。家庭環境に関わらず、真面目に勉強すれば成功の機会は等しく与えられるという「機会の平等神話」、そして『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』に象徴される裕福でなくても温かい家族のもと子どもは幸せに育つという「貧しくても幸せな家庭神話」。
著者が本書で検証してきたのは、子ども期の生活の充足と、学歴、健康、就労、所得、結婚には密接な関係があるという動かし難い統計的事実だが、この神話によって日本人は子どもの貧困に鈍感になっているのではないか、と推測する。

子どもには選挙権がない。そして本書で大きな課題とされている母子家庭においても(日本は母子家庭の貧困率が特筆すべき高さである)、母親は子育てと仕事に追われ、選挙に行く暇もないだろう。子どもに限らず貧困という問題は救われるべき人が政治勢力たりえず、子どもは特にその傾向が強くなるという課題を抱えている。つまり政治家が子どもの貧困削減に取り組んでも、選挙の得票に結びつきにくい。
子どもの貧困が政治的なイシューとして取り上げられるには、メディアと世論が沸点に至るのを待つしかないのだろうか。


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2009年02月26日

理性について

多人数で行われるチキンゲームを、社会的チキンゲームと呼ぶ。
それは以下のようなパーティーゲームに応用される。(『理性の限界』高橋昌一郎著)
―ルール
・ゲスト全員に紙を配って、100ドル/20ドルのどちらかを記入してもらう。
・ゲストは互いに相談できない
・ゲストの中で1人でも20ドルと書いた人がいれば、全員が書いた金額を受け取ることができる。
・全員が100ドルと書いた場合、ゲストは誰も賞金を受け取れない

1984年、全米科学振興財団が『サイエンス』誌上でこの実験を行った。
読者は100ドルか20ドルのどちらかをハガキに書いて財団に送る。
100ドルの希望者が全体の20%以下であれば(つまり20ドルが80%以上であれば)、参加者全員に書いた通りの金額を支払うとする。
ロイズ保険に保険を拒否されつつも、3万人以上の参加者があり、結果、35%が100ドルと記載して、賞金が支払われることはなかった。



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2009年02月05日

革命について

『CHEチェ 28歳の革命 | 39歳 別れの手紙』

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レーニンはローザ・ルクセンブルグを評して、「鷲は鶏よりも低く飛ぶことができる。だが鶏は鷲ほど高く飛ぶことはできない。ローザはいろいろと誤りをおかしたにもかかわらず、なお依然として鷲であったし、また現在も鷲である」といった。(※)
革命家は鶏より低く飛べる鷲だとすれば、彼も同様に鷲であり続けた。

革命家と革命を主導する人間は違う。革命の主導者にとって革命は政治体制刷新の手段だが、彼は命を賭して一切の政治的解決を拒否し、首尾一貫して革命家であった。生きながら革命という抽象的な概念の象徴であり、破壊や断絶という歴史の中の点を、線や面として生きなければならなかった。リンギスは彼を地上に存在しない抽象的な“男”の象徴とみた
だがもちろん、一人の生身の人間が何かの抽象概念を象徴し続けることなどできるとは思えず、革命に勝利することはできても革命家でいつづけることは不可能だと誰もが考えただろう。

それが喘息持ちの金持ちの息子であればなおのこと不可能であると思う。ボリビアの政権もCIAも、革命軍の仲間すらも同じ疑問を抱いた。
だが彼は革命にこそ自分のふるさとがあるかのように慈しみ、また革命家を人の高度に成熟した段階であると定義して、銃を持ち山中を歩いた。
ソダーバーグはラテンアメリカの反米主義の隆盛と関係付けて、革命をロマンチックに描いたり、能天気にゲバラをアイコン化することを丁寧に避ける。
本作でゲバラは多くを語らず、他の共産主義者との連携を拒否し、軍規を乱した隊員を粛清する。
起伏のない地味な闘いを継続するために、組織のテンションを維持することに苦心するゲバラの姿は、Tシャツにプリントされた英雄とは程遠い。
2作目においてその傾向はいよいよ強まり、映像は説明を拒否し、ボリビアの山中を、仲間が斃れながら敗走し続ける一行を突き放すように映す。
食料・武器は減り、隊員も苛立ち、CIAが支援する政府軍の情報戦にも破れ、喘息の発作も起き、革命の目的であったはずの農民の支持はついに得られない。
山岳地帯でメディアもなく都市の暮らしも知らない自給自足の農民にとって、革命は、医師でもあるゲバラが家族の病気を治してくれる以上の価値を持たないのだ。
行軍を追う映像は単調で、劇的な戦闘も、情熱的な演説も美しい回想もなく、ソダーバーグは勇気を持って革命軍を退屈に撮った。
ボリビアでのゲバラは理論的にも実践的にも誤謬を重ねた。革命は苦しく、その苦しさが人を革命家へと成熟させるとゲバラは信じ、多くの人に裏切られ、喘息の発作のまま葉巻を燻らした。
ただそれだけの不毛な行軍だからこそ、ゲバラがゲリラの仲間も共産党も農民も、乗っているロバすらも否定して、革命に対してだけ忠実であろうとした。グランマ号から海を眺める彼の目から、革命家としての純度と強度だけは痛々しく伝わる。

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ローザ・ルクセンブルグ『獄中からの手紙 (岩波文庫)』訳者解説より
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2009年02月04日

環境について

2008年は地球温暖化にかかわる懐疑論を主張する本が爆発的に出版された年として特徴づけられる。洞爺湖サミットに向けての、メディアにおける環境の議論は「温暖化バブル」とでも言うべき状態で、「環境問題」を地球温暖化に集約し、その解決のみが環境の対策であるとも言わんばかりの異常な状態であったが、その一方で、地球温暖化の原因がもっとも中心的な温室効果ガスである人間由来の炭酸ガスの増加にあるということに対する懐疑論から、地球温暖化がネガティブではないという議論、果ては地球温暖化自身をも否定する議論が噴出した。
 地球温暖化のみを問題化し、多様でもっと本質的な環境の問題を見ることができないのはもちろん問題であるし、地球温暖化に関する「事実」に不確実性が高いのも事実である。しかし、だからといって懐疑論を声高に主張し、環境対策自体を否定することは本質を見誤っている。そもそも、問題が「不確実性」にあり、今までの人間の環境にかかわるあり方を根本的に見直し、不確実性を前提としてどのような問題解決をしていくべきか、ということが「環境問題」ということの本質であるはずである。(亀頭秀一、「みすず」09年1-2月合併号)
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2009年01月22日

創設について



アメリカ人による憲法崇拝を考える場合、崇拝の対象は"constitution"、つまり書かれた文書としての憲法と同時に「構成する」行為でもあるとアレントはいう。

百年にわたり非難されてきた憲法が、なお崇拝の対象であるという奇妙な事実が導くのは、
新しい政治体を積極的に創設したという出来事それ自体の記憶が依然として続いているために、この行為の実際的結果であるこの文書そのものが敬虔な畏敬の雰囲気のなかにずっと包みこまれていて、この雰囲気のおかげで出来事と文書の両方が時間の攻撃や環境の変化から保護されてきたのであると結論したくなるだろう。そして、教義の意味におけるconsttitutionの(憲法典についての)問題がもちあがるべあいでも、その行為そのもの、そのはじまりそのものが記憶されているかぎり、共和国の権威は安全であり、無傷のままであろう、と予言さえしてみたくなるだろう。

「はじまり」は神秘の絶対者によるものではなく、はじまりの行為そのもののうちにあったという。
 アメリカ革命の人びとが自分たちを「創設者」と考えていたという事実そのものが、新しい政治体の権威の源泉は結局のところ、不滅の立法者とか自明の真理とかその他の超越的で現世超越的な源泉なのではなく、むしろ、創設の行為そのものであることを彼らがいかによく知っていたかを示している。
アメリカ革命の人びとにかんするかぎり、彼らが完全に知っていた創設伝説は、ただ二つしかなかった。イスラエル人のエジプト脱出という聖書の物語と、燃え落ちるトロイをのがれたアエネアスの放浪というウヴェルギリウスの物語である。二つとも解放の伝説であるが、一つは奴隷からの解放、いま一つは殲滅からの解放である。そしてこの二つとも、中心のテーマは約束の地の最終的制服か、あるいは、ヴェルギリウスがその偉大な詩の冒頭ですでにその現実的な内容を示しているように、新しい都市国家の創設であるか、ともかく将来の自由の約束であった。

伝説は、新旧の秩序の断絶、「裂け目」だと教える。
それは、自由は解放の自動的な結果でもなければ、新しいはじまりは終りの自動的な帰結でもないということである。革命は、終りとはじまり、もはや存在しないもの(no longer)とまだ存在しないもの(not yet)との伝説的な裂け目にほかならなかった。

危機のたびに時代は英雄と伝統を創造してきた。先達の築いた栄光の原点へ回帰するべく、英雄は破壊と建設の裂け目に表れ人々を導く。
原点回帰、つまり海を渡り苦難を乗り越え国家を築いた着いた先祖の創設の精神へ回帰せよとアメリカで繰り返し説かれる。危機意識から生まれる国民の結束は、連続する栄光の歴史の主体であるという国民の自意識をより強固にするだろう。その主体は主体を際立たせる他者を求め、外国とマイノリティがその他者を演じる。
海を渡り国家を築いた人々の末裔でも、奴隷として渡来し辛苦を舐めながら公民権を獲得した人々の末裔でもなく、創設や革命の伝説とは無縁に「ただそこにいた」始原を持たない先住民は、伝統回帰の時代において、創設の歴史を共有しない他者としてさらに際立つだろう。
そして、アメリカで伝統回帰と軌を一にして、アメリカと創設伝説の水脈を同じくするイスラエルにおいても建国の伝説は強固になり、ただそこにいた「他者」への排斥が矛を収める日は益々遠のくに違いない。
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2009年01月15日

痛みについて

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文藝春秋 2月号の「ドキュメント昭和天皇の最期」で、佐野眞一は昭和天皇の身体が滅びゆく(同時に執念のように奇跡的な回復をみせる)昭和末期を起点として昭和を総括し、平成の難題の萌芽を読み取ろうとする。侍医の伊東貞三も、天皇の驚異的な生命力と人間離れした我慢強さに驚きを隠さない。
陛下は本当に痛いとか苦しいとかおっしゃらなかったですね。陛下のような患者さんは見たことがありません。普通の患者さんは、医者を変えろ、セカンドオピニオンを求めたい、というふうになるものですが、陛下の場合、首から下はすべて医者に任せているという感じでした


あるとき、伊東が天皇に「お痛みですか」と尋ねたことがあった。「痛いとはどういうことか」というのが、天皇の返事だった。

首から下を医者に任せているのではない。また我慢しているのでもない。昭和天皇にとって、自分の身体はもとより自分のものではないのだ。その信念は幼少期より培われてきたものに相違ない。偉大な明治天皇と病弱な大正天皇の2人の間を常に引き裂かれるように、激動の昭和期を元首として君臨し続けた天皇にとって、それは至極当然の身体観であったはずだ。

自分の身体は自分のものではなく、この国の歴史にこそむしろ帰属するものである、と。すなわち歴史に奉仕するための「玉体」であるとして、肉体的な「痛み」そのものを捨てて生きる宿命を負った昭和天皇の凄みを、ただ読者は感じる。

戦後、皇族がその身体を歴史に捧げ「痛み」を捨てる必要がなくなったこと、即ち人間になり身体を持ち痛みを感じることを多くの戦後の良心が歓迎した。その一人である中野重治が「五勺の酒」
で描いた行幸の昭和天皇を戦後の起点として、日本人の家族観も変わりそれに伴い皇室も変った。
だが歴史のために身体を捨てた男に、戦後身体を取り戻すことを強いることなどできるはずもない。昭和天皇の身体のみが遂に最期まで戦後に馴染むことなく玉体のままであったということになる。
ここで昭和の宿命を見ず、いたずらに雅子妃の「心の病」を難じてみせるのは佐野が冒頭で自らに禁じているはずの、昭和を「セピア色」に強調してみせる悪しき「郷愁」に過ぎない。


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